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ファーザーコーン その1。 [雑想]


この頃、いい“ご縁”をたくさんいただいている。

これはきっと、ぼくの日頃の行いがいいから…、違うかな。
そんなに特別いいことをしている訳じゃないのは、自分でもわかってる。

ただひとつ、最近気を付けていること、というのはある。
そして、多分それはこのいい“ご縁”に関係しているに違いないのだ。

それは何か、の前に。
「ファーザーコーン」の話。

収穫したトウモロコシの中から、来年の種となるものを入念に選ぶ。
選らばれたものを「ファーザーコーン」と呼ぶのだそうだ。

トウモロコシを主食として自給自足の生活をしている南米の先住民を紹介した
 番組が、だいぶ前にあった。
かなりうろ覚えなので、南米のどこだったかわからないし、呼び名も同じだった
 か定かではないのだけど。

彼らにとって、この次の種選びは非常に重要だ。
それが自分や家族、ひいては自分の子孫の命運を決めてしまうのだから。


日本の農では、残念ながら種は種子業者から買うものになってしまった。
自家採取の種を蒔く農家はほとんどない。

そして、自分自身もそうした経験が全くないのだ。
だからこそ、先住民のその映像が強く印象に残ったのだと思う。

そして、“ご縁”のことを考えていたとき、その映像がふと頭に浮かんだ。

ぼくは“種を蒔く”ということがどういうことかを忘れてしまっていた。
何かを生み出すとき、よいものを伸ばすと同時に、悪いものを排除するのが
 当たり前になっていた。

けれど、本当によいものを残すのなら、よいものだけに目を配ればいいのでは
 なかったか。
虫食いのものや粒の小さいものとかをハジいていく必要はない。

悪いものにかかづらってばかりだと、他の悪いところばかりが気になってしまう
 はず。
結果、よいものに目を向ける時間や余力がなくなってしまう。

一方、選ばれた種がよいものなら、育ったトウモロコシからはまたきっとよい種
 がとれるだろう。
ほんの少しずつではあるけれど、そうやってトウモロコシはより病気に強いもの
 やよりおいしいものになっていくのだ。


今、一緒にいて本当に心地いい人との時間を大切にしている。
「ファーザーコーン」が「表面的にきれいなもの」を選別したのではダメなように、
 それが“そとづら”だけの付き合いではつまらない。
心地いいとは、内面が曝け出せる関係だと思う。

それだけのことだ。
それだけのことだけど、確実にいい“ご縁”が巡ってきている。

それはとても時間が掛かる。
トウモロコシと同じで、すぐに収穫できるものではない。
収穫できたものだって、いきなり格段によくなっていたりはしない。

けれど、その“種”は確実に輝きを増してきているようにみえる。
今のぼくにとって、これ以上の宝はないのだ。


その2は、こちら
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