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扉の向こう側 過去(8) 2005年10月16日 [小説:扉の向こう側]

 初めて守屋さんの顔と名前が一致した日。中西さんとの話が終わって帰る守屋さんをエレベーターまで送った時、
「最近手がけたレストランが今週オープンして、クライアントが招待してくれるって言ってんだけど、よかったら週末にでも一緒にどう? 男一人じゃ行きにくいから」
とさらっと食事に誘われた。
 少しは期待しちゃったりもしたけど。本当に言葉どおり、一人で行きにくかっただけらしい。
 次の日曜日の夜、代々木駅で待ち合わせて、守屋さんが内装の設計を担当したイタリアンレストランに連れて行ってもらった。
 無愛想でいかにも頑固に自分のこだわりを押し通しそうな職人タイプのご主人と陽気で気の利く奥さんが二人でやっているお店だった。五十を前にようやく手に入れたお店であることを、奥さんがうれしそうに教えてくれた。
 白い漆喰の壁と、三種類のサイズの素焼き風の淡いブラウンの磁器タイルを組み合わせて敷き詰めた床。温かい色の間接照明と、楢の木の丸テーブルの上のキャンドルの灯り。昼間は開け放してオープンテラスにできる大きなガラスの扉。広いカウンターの向こうに見える煉瓦を積み上げたピザを焼くための釜とその炎とぴかぴかのキッチン。
 このご夫婦にぴったりの、家庭的な雰囲気のレストランだった。
 オープンしたばかりなのにきちんとどの席も埋まっていて、出だしは好調のようだった。だけど、カップルか家族連れしかいないので、確かに一人で食事するのは気が引ける。
 もちろんお料理はとてもおいしかった。ピザもパスタもたっぷりお腹に詰め込んで、デザートのパンナコッタまで堪能した。最後に届けられたカプチーノには泡でハートマークが描かれていて、あのご主人にもちゃんと遊び心があるんだな、と思うとちょっとおもしろかった。
 お店の奥さんのパワーの影響なのか、ワインで酔ったせいなのか、食事中はお互いに饒舌で、いろんな話をした。
 彼は福岡出身で就職するまでずっと九州にいた、ということ。中西さんは大学のバスケ部の先輩なのだということ。子どもの頃から科学者になろうと思っていたのに、どういうわけか気まぐれに受験した建築学科だけに合格して、建築家の道を選ぶことになってしまったこと。
 私は、東京で生まれ東京育ち。数学と理科が苦手で頭の中がまるきり文系。運動は苦手で部活動はまともにやったことがない。
 彼の知っている世界は私の知らない世界で、逆もまた然り。筋道を立てて論理的に話す彼と、思いついたことから言葉にする感覚的な私は、ものの見方も考え方も、何もかもが違っていた。
 だから話していておもしろいと感じたのかもしれない。同じものを見ても互いに違う角度から意見を言うのが興味深かった。それに、おしゃべりの合間の沈黙も、居心地悪く感じなかった。話題が途切れないように頑張ってしゃべり続けなくてもいいというのは気が楽だ。

 お店を出た後、食べ過ぎて膨れたお腹を抱えて駅までゆっくりと歩く間は、食事中のことが嘘のように二人ともほとんど話さなかった。
 たぶん、考えていることは同じだったと思う。
 どんなに仲良くなっても、奇跡みたいに旅行先と職場で出会えたことをきっかけに恋をはじめてもいいなと思っても、タイムリミットが迫っている、ということ。それを無視して勢いで感情を盛り上げてしまうには勇気が必要な年だということ。
 この前、守屋さんが事務所に中西さんを訪ねてきた時、コーヒーを出しながら、私は彼の話を聞いてしまっていた。
 彼は、勤め先である橋本設計事務所を退職してサンフランシスコに移住することを報告し、その前の挨拶をするためにやってきたのだった。
 以前日本で行われたイベントで一緒に仕事をしたアメリカの企画会社の社長が、イベントだけではなく住宅やオフィス、公共施設の総合プロデュースを行う新規事業の立ち上げに際し、建築家として参加してほしいと声をかけてくれたのだそうだ。そもそも、九月にサンフランシスコに行ったのも、新しい職場や落ち着き先のアパートを見に行くためだった。
 日本を発つのは、二〇〇六年一月十日。もう、全て決まっている。
 駅の明かりが見えた時、守屋さんが口を開いた。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「こちらこそ、ごちそうさまでした」
「いや、あれはあのご夫婦のオゴリだから」
 丁寧に頭を下げると、彼は首を振って、それから頭をかいた。
「なんか、おれ結構つまんないこと話しちゃった気がするけど、楽しかった?」
「楽しかったです」
 私は大きく頷いた。
 本心から。ホントに楽しかった。もう少し話してみたい、って思うくらい。
 だけど、臆病者の私は、心にそっとブレーキをかけておく。
「もし、時間がうまく合ったら」
 改札口の手前で、ためらいがちに守屋さんが言った。
「また今度食事に行きましょう」
「はい。また、今度」
 私たちはそのまま改札をくぐったところで別れ、山手線の新宿方面と品川方面で別々の階段を登った。
 階段を登ると、ちょうど電車の扉が開いたところだった。乗り込んで振り返ると、閉まる扉のガラスの向こうにホームに立つ守屋さんの姿が見えた。
 手を振ってみようと思う間もなく、すぐに電車が滑り込んで来て、見えなくなってしまった。乗っている電車も、全く反対の方向へ向かって駅を離れはじめる。
 こうやってすれ違っていくだけなんだろうな、と思うと、とても残念だった。ちょっといい感じだったのに。
 また今度。大人になったら、これほどかなえられない言葉はない。


photo: :::AnytimeWoman:::[PhotoMaterial]


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