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扉の向こう側 過去(2) 2005年9月17日 [小説:扉の向こう側]

 麻美と遅い夏休みをとってサンフランシスコにやってきた。
 二人ともサンフランシスコは初めてだったので、まずは街が見下ろせる見晴らしのいいところに行こう、ということになり、ユニオンスクエアから地下鉄とバスを使ってコイトタワーを目指した。
 コイトタワーは、ピサの斜塔のようなイメージの円柱の塔だった。バスでとてつもなく急な坂道を登って、どうにかたどり着いた。
「シドニーでもハーバーブリッジに登ったね。私たち、どこ行ってもまず高いところだね」
 麻美が売店で買ったチケットをひらひら振りながら笑った。
 シドニーは大学最後の夏休みに旅した場所。もう九年も前の話だ。
「高いところから大事なポイントを押さえておかなくちゃ」
「そう、それが大事」
 エレベーターを待つ間に、私たちの後ろには少しずつ人が集まり、列ができていた。
 ようやく扉が開いて、上から降りてきた人たちを全員出した後、オペレーターのおじさんが手元のチケットにパンチを入れながら中に通してくれた。
 小さな小部屋はすぐに満員になり、オペレーターが手で扉を閉めると、がたん、と一揺れしてゆっくり上昇を始めた。
「皆さん、頂上に参ります。揺れると落ちる可能性があるのでどうぞ動かないで」
 オペレーターがそんなジョークを言う。
「あんまりジョークに聞こえないんだけど」
 麻美が苦笑して私に耳打ちした。
 同感。さっきからあまり感じたことのない振動を感じている。
「実はこのエレベーターは手動式になっていて、うちの女房が筋トレに使ってるんだよ。腕に自信があるんなら帰りに地下で試していきな。ボディビルダーになれるから」
 オペレーターの軽口に、運命共同体の乗客たちは思わず顔を見合わせて笑う。
 笑いながら、向かい合わせに立っていた男性と目が合った。
 黒い髪に、銀の細いフレームの眼鏡。淡いブルーのシャツ。同じ日本からの観光客だろう。年は私と同じか少し上くらいだろうか。
 口の端を上げて少し目を細める、穏やかな笑顔だった。

 最後にがたん、と一揺れして、エレベーターが止まった。
「足元に気をつけて」
 扉がまた手で押し開けられて、窮屈な部屋から一人、また一人と外に出て行く。
 最後は私と麻美。
 麻美より先に外に向かった私は、入り口の段差に片足を引っ掛けて前につんのめり、さっきの日本人男性の背中に頭から飛び込んでしまった。
「わっ」
「鈴!」
 咄嗟にオペレーターのお兄さんが腕をつかんでくれたのでそのままドミノ倒しにはならずに済んだけれど、あまりに間抜けすぎて顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
「がっはっはっは」
 オペレーターに大口を開けて笑われた。
 その場でエレベーターを待つ人の列からも笑い声が上がる。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 私はぶつかってしまった相手に急いで頭を下げた。
「ぶつかったところ、痛くないですか?」
「うん、痛い。ひょっとして石頭?」
「えっ」
「冗談。そっちこそ怪我しなかった?」
「私は、おかげ様で大丈夫です」
「なら、よかった。道中気をつけて」
 男性は何事もなかったかのように軽く手を振って、先に狭い階段を上がっていった。
「気をつけろ、って言われたばっかでしょー」
 後ろから麻美がけらけら笑いながら、私の両肩に手をかけた。
「面目ない」
「鈴らしくて笑える」
 反省しながら階段を登りきると、意外なことに、天井にぽっかり開いた大きな穴から真っ青な空が見えた。
「へえー。ここ、オープンなんだねー」
 不思議と、空がこの建物の壁から一続きの半球みたいに見える。青いスクリーンを綿のように薄く白い雲が海風に乗ってどんどん通り過ぎていく様子がおもしろくて、ついそのまま見入ってしまう。
「こうやって見ると、プラネタリウムみたい」
「そうだね」
 麻美は私の言葉に頷きながら、首を横に向けて、
「あっ、ちょっと鈴、こっちだよ、メインは」
と上を見上げている私の手をぐいぐい引っ張った。
 引っ張られるままに目を向ければ、縦長のかまぼこ型に切り取られた窓から、サンフランシスコの風景が広がっていた。
「わー。すごい」
 我ながら月並みな表現しかできないのだけど、それ以外に出てくる言葉がなかった。
 きらきら光る海の上に点々と浮かぶヨットの三角の帆。アルカトラズ島。海沿いにずっと続いている港。
 ゴールデンゲートブリッジ。街の中心のビル群。
 バスでひたすら登ってきた急勾配の坂。その先のなだらかなうねり。一軒一軒違う色で塗られた家が並ぶパステルカラーの通り。その隙間にまっすぐに続く道を走っていく車、バス。
 一つ一つ、人間の手でこつこつ作り上げられてきたもの。
 なんだろう。このバランス。すごく、ひかれる。
 何枚か写真を撮ってみたけれど、写真なんかじゃ何も表現できないと思って途中で放棄してしまった。
「私、ここに住んでみたいなあー」
「何、急に」
 私の唐突な言葉に、麻美はデジカメのシャッターを押す指を止めて振り返った。
「ミニチュアでこの町を再現してみたい。建物の一つ一つを作って」
「あはは。そりゃ住まなきゃ無理だね。でも、どんだけ時間かかるの?」
「わかんない」
「それはライフワークだよ」
「そうだねー」
 本当にそうだ。いつになるかわからない話。そもそも次にいつここに来られるのかもわからない。
 でも、なんとなく、そんなに有り得ない話ではない気もした。根拠はなくても。


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kenta-ok

サンフランシスコの景色を載せています。
http://www.trave-l.com/modules/blog/photo.php?uname=kenta-ok&lid=9696
by kenta-ok (2005-12-30 09:58) 

小島澪

kenta-okさん
写真、見せていただきました。
私は坂のある風景をうまく表現できるような写真を撮影できなかったので、うれしくなって見ました。
またいつか行きたいものです。
by 小島澪 (2006-01-14 15:05) 

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