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宇治山哲平展 [芸術]

宇治山哲平展
2006年2月4日(土)〜4月9日(日)
東京都庭園美術館にて
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/ujiyama/index.html
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※今日は勢いにのっているので…ですます調はお休みで。

目黒駅前のポスターに惹かれ、宇治山哲平展に赴く。

私はこの宇治山哲平という作家を知らなかったが、
もう一度見直すことで美術史自体の意味や構造が変わっても
よいのではないかという見地から、光のあたったこの作家
からは、確かに新鮮な感慨をもらうことができた。

庭園美術館、という場所もあってのことかもしれないが、
一つ一つの作品に厳粛さが漂い、
ただ美しいというだけのことに他ならない、
作品に込められる人間の労苦というか、精魂というか、
そのものの発する力は圧倒的だった。

◯や△、□といった記号と言うべき象徴を抽象化した作品であるが、「これは単に抽象としての幾何学的なあれこれというものではなく、写実を超えた抽象の世界を目指すための写実の世界だ。」と言われた通り、マンダラのような東洋写実の精神を感じとることができる。まさに自画像の世界。

少し落ち着くまでは、この宇治山哲平の特徴である
豊穣な畝のようなマチエールに見入っていた。
これは、油絵の具に水晶か何かの粉を混ぜることで
ざらつきのある絵肌を出す方法。それにしても油画なのにキャンパスに乗る絵の具は日本画並に薄い。(ちょっと大袈裟ですが)
ゆえにこのマチエールがいかに
繊細な厚みをもってこのキャンパスにのっているかご想像いただけるかと。

ただ、ルネサンス以降の絵画は例えるならば窓枠のようなものとして、絵画自体のその奥に潜むものは何かと各々に想像させる役割を果たしているが、この宇治山哲平の作品は暫く見入ってしまった
マチエールの緻密さがキャンパス上で想像を遮断し、その奥に潜む何かを見せてはくれない作品であるという見方もできる。
それゆえ、当時彼の作品は職人的・工芸的であると酷評されたことにはマチエールのみに関して言えば確かに納得できる。

最後に…
抽象画というものは、具体的なあるものを人に想像させては
いけないものか?とはよく言われることだが
必ずしもそうではないと思う。
想像してしまう人がいるからこそ、
その言葉自体矛盾を醸す。
東洋写実の精神というのは、己にしか想像のできない、
また、己にも想像のできない超現実の世界感を、
日々意識している日常の世界のどこかと結び付けて
落ちてくる・ 浮かんでくる・飛び出してくる…など
いろいろな手段で具現化されるもの。

「東洋写実の精神」というテーマ自体が難しい。
今日は短く不十分な説明で、、、
私の考えが正しいのか誤りなのか、
また、これを受け入れて下さいと言うわけでも
なんでもないのだけれど、
深みにはまり、、、ぬけだせそうもないのでこのへんで。

明日から仕事です。


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