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「運命」横綱柏戸 没後10年(その参) [日記・雑記]

(前々回、前回からのつづき)

【柏鵬の明暗を分けた運命のくじ】

柏戸と大鵬は、横綱に同時昇進後、成績という観点でいうと明暗が分かれました。柏戸は怪我や病気で休場がちとなって不振に陥ったと思われがちですが、実は昇進以後、1962(昭和37)年11月の九州場所までの7場所は皆勤しています。その間、大鵬は5場所も優勝しているのに対して、柏戸は最後まで優勝を争うことすらない不振。その横綱昇進直後の出場した7場所の不振が、柏鵬の成績の明暗を分ける上で大きかったと思います。

大鵬が横綱昇進前に大の苦手としていたのが柏戸で、横綱昇進前の対戦成績は、柏戸の7勝3敗でした。ところが横綱昇進後の7場所では、柏戸は2勝5敗と一気に形勢が悪くなっているのです。大鵬が柏戸に対する苦手意識を払拭する大きなきっかけとなったのが、対戦成績には含まれない勝負、横綱昇進を決めた1962(昭和37)年9月場所の優勝決定戦でした。12勝3敗で柏戸、大鵬のほかに、明武谷が並び、3力士の優勝決定戦になりました。

最初に柏戸と明武谷が対戦して柏戸が勝ち、次の大鵬との対戦で勝てば優勝という一番、柏戸は終始攻めて大鵬を追い詰めながらあと一歩攻めきれず、土俵際のうっちゃりで惜しくも敗れました。後に大鵬は、この一番で柏戸を破って相当自信になったことが自らの土俵人生にとって大きかったと語っています。

しかし、この一番は柏鵬両者五分の条件ではなく、柏戸にとってかなり不利でした。3人の優勝決定戦のときは、くじによって順番に対戦し、2連勝した者が優勝なのですが、柏戸は既に一番取っていたのですから。特に本場所の相撲では、短い時間であっても一番取っただけで相当に体力を消耗します。
実際にこの相撲の映像を見ると、柏戸の背中は汗びっしょりで、大鵬はサラッとしているのです。

歴史、スポーツ史においては特に、「もし…だったら」という話をするのは「愚の骨頂」だというのを承知で敢えて言うと、大鵬が「待ち」くじを引かずに、初戦が柏鵬対決、あるいは初戦で柏戸が「待ち」だったら、柏戸が優勝していた可能性が相当高かったと思います。

柏戸は人が良く、豪快なようで繊細なところもあったようなので、大鵬が優勝して文句なしに横綱昇進したのに対し、同時昇進歓迎ムードの中で成績はちょっと足りないのに昇進したということに、負い目を感じながら横綱になったと思います。横綱昇進直前場所の優勝決定戦で大鵬が柏戸を破ったことは、大鵬が柏戸に対して自信をつけたということだけでなく、柏戸にかかる「綱の重み」がグッと強くなってしまう精神的影響という意味においても、横綱昇進後の柏戸不振に影響したのではないかと想像しています。
 
横綱昇進を決めた場所の優勝決定戦のくじ、これは単なるくじと言ってしまうにはあまりにも大きく、柏鵬の明暗を分けた運命のくじだったように思います。


(写真)柏戸自筆の貴重なサイン手形色紙
僕が横綱柏戸記念館を訪問した際に、宿泊した山形県鶴岡市の「村上屋旅館」のご主人から頂いたものです。

<結びに代えて>
柏戸が立派なのは、長い不振のまま終わらなかったことです。
1965(昭和40)年3月場所までの横綱昇進後21場所で、優勝はわずか1場所(有名な涙の全勝優勝)、全休6場所、途中休場4場所でした。その頃の相撲雑誌では、柏戸復活は無理ではないかという評論もありました。
しかし、1966(昭和41)年と1967(昭和42)年には皆勤出場し、年間最多勝力士となっているのです。

(横綱柏戸没後10年シリーズはひとまず終了。拙文読んで頂いてありがとうございました)


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コメント 5

miyo3451

書き込みありがとうございました。

柏戸について 大変詳しいので 年配の方かと思ったら、大変 お若い方で驚きました。
永い間 柏戸を見て来ましたが、決定戦のくじ運について 考えたことが無かったです。
あなたの考えかたも 成る程と思いました。
あの日の出会いから 亡くなるまで、ずーとファンでした。
といっても名古屋場所の時だけ 稽古を見に部屋へお邪魔するくらいです。
鶴岡の柏戸記念館は 私も行って来ました。
昔 富樫さんが話してくださった ふるさとの地に立てて 感激でした。
by miyo3451 (2006-12-11 21:37) 

あめちん

miyo3451さんへ

コメントありがとうございました。

現役時代を実際に見ていない柏戸に魅力を感じるのが、自分でも不思議なのです。

鏡山親方になってからも何度か近くで見たことはありますが、話をしたこともないので、若い頃の富樫剛から知っている貴殿が羨ましいです。

名古屋といえば、最後の優勝と引退の場所が名古屋で、縁があったのですよね。

それでは。
by あめちん (2006-12-11 23:27) 

あめちん

「miyo3451」さんは、鏡山部屋とドラゴンズの応援サイトをお持ちです。

そこで柏戸の命日に故人を偲んで紹介されているのが、幕下時代の柏戸と食事をしたときのエピソード。柏戸の性格が伝わるとても心温まるお話なので、紹介させていただきます。

http://ameblo.jp/miyo3451/entry-10021261432.html

鏡山部屋とは、先代鏡山親方の柏戸が設立した部屋で、現在は蔵前国技館最後の場所の優勝力士として有名な多賀竜が鏡山親方となっています。
by あめちん (2006-12-12 09:18) 

kaz

柏戸のファンの一人です。
初対戦のとき柏戸は大鵬を下手出し投げで勝っていますが
そのあと土俵の砂にうずめた大鵬を介抱するように
起こしてやっているんですね。
柏戸の優しさが出ています。

お若い方と拝察申し上げますが
貴殿の洞察は鋭いと思います。
「柏鵬の明暗を分けた運命のくじ」はもしかしたらそうだったかも
しれないと唸らせるものがあります。
この記述のあとに出ている柏戸の手形が泣かせてくれます。
涙・・・涙です。

この場所の本割では柏戸は大鵬に勝っているのをご存知ですよね・・・
物言いはつきましたが・・・
by kaz (2008-02-24 15:16) 

あめちん

kaz 様

コメントありがとうございました。

2月23日のテレビ東京系の「アド街ック天国」を見たら、小岩特集でした。
「てき水」という大きな豚カツのお店が紹介された時に、スタジオのゲストの吉田照美と峰竜太が、「この店のすぐ近くに柏戸の鏡山部屋があって…」という話から、2人とも柏戸ファンだったという話にしばらく脱線して、思いがけず嬉しかったですね。
吉田照美は、父親が大鵬ファンだったことから、親子関係に亀裂を生じた時期があった、とまで言ってたのが面白かったです。
by あめちん (2008-02-28 03:55) 

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