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「サムライ」横綱柏戸 没後10年(その弐) [日記・雑記]

(前回からのつづき)

【柏戸の魅力】

柏戸のこと、柏鵬時代もう一方の雄である大鵬との比較について、言われているところや自分なりに思うことを書いていくと、もう本当にキリがないし、マニアックな内容に陥ってしまうので、ここでは、ほんの少しだけにとどめておきたいと思います。

まず、僕が柏戸をなぜ好きなのかというと、
何と言ってもその「潔さ」がカッコイイのです。潔さは武士道に通じます。柏戸は美男力士なのですが、そう見ると風貌も「侍」の雰囲気です。


Copyright (C) 毎日新聞社

相撲というのは面白いもので、性格が相撲の取り口に如実に表れます。柏戸は性格そのまま、相撲があまりにも潔すぎるので、相撲の記録に残る成績の損得だけで言ったら、その潔さゆえに間違いなく損をしていました。

細かく言えば変遷はあるものの基本的には、立ち合いから一気の爆発的な出足で、相手を土俵下まで運ぶ相撲です。僕は言ったように映像でしか見たことありませんが、本当に見ていてスカッと胸のすく気持ち良さがあります。

ところが鋼のような、相撲取りにしては硬い体に、その潔すぎる相撲なので、土俵際で逆転を許して成績に安定を欠くだけでなく、土俵下に転落して大怪我をすることが多かったのです。横綱になってから大鵬が着実に優勝を重ねていく一方で、不振が続き、そして度重なる怪我、さらには糖尿病も発症して休場を繰り返していた時には、柏戸も本当に悔しい思いをしたことでしょう。

それでも柏戸は、基本的にはその取り口を変えずに通しました。それが結果的には良かったのだと思います。損得にこだわらない潔い柏戸の相撲として人々の記憶に語り継がれることになったからということもありますが、柏戸の一気の出足は、大鵬が最も苦手とする相撲で、史上最多優勝回数を誇る大鵬に対して最も多くの黒星を付けた力士であったからです。柏戸がサムライのように潔い性格ゆえに、潔い相撲を潔く貫いたからこそ、優勝回数や勝ち星で大差をつけられた大鵬に対戦成績ではほぼ互角に張り合って、最後まで柏鵬と並び称されることになったのですから。

さて、過去の強豪力士や名力士と似たようなタイプの相撲取りが表れると、よく、誰々二世と呼ばれるようになります。僕は柏戸二世と呼ばれるような力士の出現を望んでいるのですが、残念ながら、柏戸は二世が最も現れにくい力士だと思います。何故なら、あの爆発的な出足は、稽古だけでは身につけられない稀有な天分であることもありますが、前に書いたように、成績ということで言ったら絶対に損な取り口なので、今だったら新弟子のうちに矯正されてしまうに違いないからです。

もうひとつ柏戸のことを調べたりした中で特筆したいのは、関係者で柏戸を悪くいう者は誰一人いないのは勿論、柏戸のことを語る人の言葉からは、誰からも好かれた性格であったのがうかがわれることです。勝負にこだわらない潔い土俵上の姿だけでなく、土俵を離れても損得にこだわらず、男らしいさっぱりとした性格で人気があったのです。

(つづく)


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コメント 10

まんきこ

ん〜〜、是非映像を見てみたくなりました。

あめちんサン、上映会よろしく☆
by まんきこ (2006-12-09 23:07) 

あめちん

>まんきこ
解像度は低いですが、ここ↓に2つほどあります。
http://sumo.goo.ne.jp/kiroku_daicho/mei_yokozuna/kashiwado.html

画像資料等ありますよ。近々「時効警察」のDVDも一緒にお持ちします。
by あめちん (2006-12-09 23:22) 

まんきこ

なるほど!
あめちんサンが言っていた、昔の相撲は「はっけよい」の際
両手をつかずにスタートするのが確認できますね☆
by まんきこ (2006-12-10 11:36) 

あめちん

柏鵬の前、栃錦、若乃花くらいまでは、ちゃんと手を付いた立ち合いをしています。
その若乃花が二子山理事長になって、確か80年代後半の千代の富士時代だったと記憶していますが、立ち合い正常化に力を注ぎました。手を付かない立ち合いは行司が待ったをかけるなどするようにした結果、今のような手付き立ち合いに戻りました。
by あめちん (2006-12-11 12:06) 

あめちん

このシリーズの「その3」でコメントをいただきました「miyo3451」さんが、鏡山部屋とドラゴンズの応援サイトをお持ちです。

そこで柏戸の命日に故人を偲んで紹介されているのが、幕下時代の柏戸と食事をしたときのエピソード。柏戸の性格が伝わるとても心温まるお話なので、紹介させていただきます。

http://ameblo.jp/miyo3451/entry-10021261432.html

鏡山部屋とは、先代鏡山親方の柏戸が設立した部屋で、現在は蔵前国技館最後の場所の優勝力士として有名な多賀竜が鏡山親方となっています。
by あめちん (2006-12-12 09:03) 

cobatack

初めまして!新潟県在住のcobatackと申します。大の相撲好きで、柏鵬時代に関する記事を探していてこちらにたどり着きました。僕は大鵬が引退した年に生まれた者ですが、あの時代の相撲に大変興味をもっています。自分は大鵬のファンですが、なぜあれほど記録的に開きのあった柏戸がライバルと言われ、柏鵬時代と人が呼んだのか、ずっと不思議に思ってました。柏戸にはおそらく数字ではわからない魅力があったのだろうな、となんとなく想像するのみでした。その疑問に対するとても親切でわかりやすい、素晴らしい解説にたどり着くことができ理解が深まりました。感謝申し上げます。ありがとうございました。
最近ではDVDで昔の相撲も見れるようになったので、各力士の取り口がわかって面白いです♪柏戸の潔いサムライのような相撲、、というのがなんとなくわかる気がします。但し、電車道で出て行くのでポカも多かった、というのも人間的魅力を感じます(^^)
10月から休止している自分のブログに大鵬の記事を書いたことがあるのでよろしければご一読ください。自分のブログはもともと趣味のカヤックのブログでしたが、暇な時、好きな相撲の事を書いておりました。お立ち寄りいただければ幸いです。失礼しました。
by cobatack (2006-12-24 15:55) 

あめちん

cobatackさん

コメントいただいて嬉しいです。ありがとうございます。

柏戸のことばかり書いて大鵬のことは書いていませんが、大鵬のことも決して嫌いではなく、尊敬しています。

新潟県といえば、柏鵬と同年代の大関豊山の出身地ですね。豊山が大器と言われながら大関止まりだった原因は、学生相撲がまだ珍しかった時代で周りの力士のライバル心を一身に集めてしまった等、いろいろ言われていますが、柏戸との稽古であまりの強烈な突進を受け止めているうちに、反り腰で逃げる相撲が癖になってしまったのも一因といわれているようです。

cobatackさんの大鵬に関する記事もこれから早速読んでみます。
by あめちん (2006-12-25 00:33) 

cobatack

あめちんさん 早速のコメントありがとうございました。
不躾なメールに対応していただき感謝申し上げます。
そうなんです!新潟県と言えば、横綱羽黒山とか、大関豊山が有名です。
豊山は、大関昇進の頃は、大関を飛び越えて横綱の実力がある、と言われるぐらいだったようですね。実際、DVDで観た、大関直前で横綱大鵬を破った一番は、左のがっぷり四つから寄り切った堂々たる相撲でした。
何故あんなに強い力士が横綱になれなかったか不思議ですが、おっしゃるように反り腰のせいというのが大きい理由なのでしょうね。気も優しかったようですし。初期の頃手玉にとっていた佐田の山あたりに晩年はまったく勝てなくなったというのも、大関止まりだった大きな要因だと思います。大鵬にはほとんど勝てないわけですから、一場所に必ず2敗はすることになります。特に残念だったのは、優勝が一回もなかったことでした。
これ以上書くとどんどんマニアックになってしまいそうなのでやめます。
失礼ですが、あめちんさんは、相当な相撲通だと推察いたしました。
相撲論が素晴らしいです。私のように偏っていません(^^;)感服いたしました。
またいろいろ教えてください(^^)
失礼しました。
by cobatack (2006-12-25 20:56) 

あめちん

cobatackさん、ありがとうございます。
でも褒めすぎ褒めすぎ(笑)

cotabackさんも謙遜なさってますが、かなり鋭い目を持った好角家であるとお見受けいたしました。

ふてぶてしくてあまり可愛くない顔の稀勢の里には、北の湖二世と期待を寄せています。来年はそろそろ北の湖の若い頃のように、大化けしてもらいたいですね。
by あめちん (2006-12-27 01:17) 

cobatack

あめちんさん 実は自分が相撲を見始めた昭和55年頃の角界の頂点に立っていたのが北の湖でした。あの当時の強い横綱の元に形成された素晴らしい番付ピラミッドを私は終生忘れません。あの後、千代の富士、貴乃花、朝昇龍と強い横綱が10年に一回の割合で現れましたが、あの時代の北の湖には及びません。昭和53年が頂点だった北の湖を55年以降しか観てない自分でさえ、彼が戦後の横綱の中で大鵬に並ぶ大横綱であることはわかります。稀勢の里は自分にとって日本人力士の希望です。もうロートルといっていい大関陣。なかなか大関になれない関脇琴光喜。その中で、次に大関横綱を狙える国産力士は稀勢の里だと自分も思います。なんとなく北の湖のような飛躍的な伸びをしてほしいと思っていたので、あめちんさんのその言葉の意味はよくわかりました。来場所10勝5敗ぐらいで新関脇に上がり、いきなり14勝1敗ぐらいの成績を残すと北の湖の再来となりますね。でも関脇一場所で大関は至難の技でしょうから、来場所以降、3場所連続2桁勝利で大関になってもらいたいものです。魁皇もそろそろ引退ですし、6大関だけはさけた形で大関になってもらいたいです。
しかし「好角家」っていい言葉ですね(^^)
見る目のある人に褒められると嬉しいものです。
もっといろいろ研究しようという気になります。
by cobatack (2006-12-27 01:54) 

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