横綱柏戸 没後10年… [日記・雑記]
ちょうど10年前、1996(平成8)年12月8日に、歴史に残る名横綱がこの世を去りました。58歳になったばかりの若さでした。
土俵の外まで一気に駆け抜けて勝利する相撲そのままのように、その人生も一気に駆け抜けて、行ってしまったようでした。
その横綱の名は 柏戸 剛。
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僕は、横綱柏戸が大好きなのです。歴代の横綱の中で誰が好きかと言われたら、迷いなく柏戸です。
でも、明らかに普通のファンとは違うところがあります。
何が普通じゃないかというと、柏戸が引退したのが1969(昭和44)年7月場所中、僕が1歳になったばかりの頃……そう、現役時代を見た記憶は全くないのです。
僕は今でこそ関取でも知らない力士が出てきてしまいましたが、昔からけっこうな好角家だと思います。皇太子家の愛子さまよりかなり遅いデビューながら(笑)、小学校低学年の僕が、大相撲に興味を持って見始めた時は、横綱は輪島と北の湖、大関貴ノ花が活躍していた1970年代です。
近所の区立図書館にある相撲関係の本はほとんど全部目を通したと思いますし、読売新聞社の「大相撲」やその別冊の「古今大相撲事典」、ベースボールマガジン社の「相撲」などを食い入るように読んで、あっという間に、妙に相撲に詳しい小学生になっていました。
それで、ひと昔前の60年代には、柏戸と大鵬という1961(昭和36)年9月場所後に同時昇進した両横綱が「柏鵬時代」を築いていたのだと知りました。そして、最初に僕の興味を捉えたのが、その記録でした。
【幕内最高優勝回数】 柏戸5回 大鵬32回(史上最多)
【幕内勝敗】柏戸599勝240敗 大鵬746勝144敗
【対戦成績】柏戸16勝 大鵬21勝(ただし先に引退した柏戸が最後に5連敗するまで全く互角)
優勝回数や記録だけで見たら、圧倒的に大鵬が優位なのに、ずっと柏鵬時代と呼ばれていたのは何故なのだろう。対戦成績は優勝回数の大差と違ってほぼ互角なのも不思議……現役時代を全く知らないが故に、そんなふうにして柏鵬時代というものにグッと興味をひかれたことが、ますます大相撲にのめり込んでいったきっかけになりました。
僕の柏鵬研究はゆっくり進められてゆき、大人になっても続きました。そして、知れば知るほど、僕は柏戸が好きになったのでした。
(つづく)
私の「柏戸、早くも土」というエントリーにトラックバックをいただきありがとうございました。
私の場合は柏戸が活躍したのは小学生高学年から中学生時代ですからかなり鮮明におぼえています。本当に気っぷのいいお相撲さんでした。
by ADELANTE (2006-12-10 14:43)
このシリーズの「その3」でコメントをいただきました「miyo3451」さんが、鏡山部屋とドラゴンズの応援サイトをお持ちです。
そこで柏戸の命日に故人を偲んで紹介されているのが、幕下時代の柏戸と食事をしたときのエピソード。柏戸の性格が伝わるとても心温まるお話なので、紹介させていただきます。
↓
http://ameblo.jp/miyo3451/entry-10021261432.html
鏡山部屋とは、先代鏡山親方の柏戸が設立した部屋で、現在は蔵前国技館最後の場所の優勝力士として有名な多賀竜が鏡山親方となっています。
by あめちん (2006-12-12 09:16)
私も柏鵬の現役時代は知りません。相撲を入れ込んで見始めた頃は元柏戸の鏡山親方が審判長で,たびたび力士に手厳しいコメントを発しており「何だよこのオッサン。自分が現役の頃はたいしたことなかった(優勝5回という数字とか横綱昇進直前3場所の成績とかを見て)そのくせに感じ悪いなぁ。」とか思ったのが第一印象でした。
ところが最近になって柏戸の生涯成績などをHPで見られるようになってびっくりしました。優勝回数は少ないけどほとんどの場所で優勝を争ってコンスタントに12勝前後はずっとしつづけてるんじゃん・・改めて柏戸を見直すと共にこの柏戸に5回しか優勝を許さなかった大鵬の凄さも感じ,自分がリアルタイムで知らない柏鵬時代にやたら興味が湧いてきました。
ですからこのブログの続きをとても楽しみにしています。
by MMKG (2006-12-29 17:00)
MMKGさん
コメントありがとうございます。
ブログの続きへのご期待と応援もうれしいです。
そうなのですよ。記録面で大鵬があまりに突出していたがために、影に隠れてしまいますが、通算記録では柏戸も相当なものです。
僕は、通算記録ランクを見るときには、時系列を考えながら見ます。そして、その力士が引退した時点で、どのくらいにランクされていたかをチェックしています。
柏戸引退時は、優勝記録こそ大鵬と大差がつきましたが、通算、幕内、横綱それぞれの勝ち星の数は、大鵬と大差ない2位で、名実ともに柏鵬と言えるものだったと思います。
相撲からは離れて、スポーツと記録ということで言うと、記録より記憶に残った選手と言われている長嶋茂雄選手ですが、引退時の打撃部門の通算記録は、数多い項目のほとんどでトップ3に入っていました。
そうそう、柏戸引退時のダントツトップの記録は金星配給数でした。後に北の湖が大きく上回りました。これは野球の記録でいうと三振の数みたいなもので、多いのも勲章になります。
by あめちん (2006-12-30 10:46)
柏戸関のおかげでここまで成長できた。この世に生まれて着てよかったなと思ったのはこの世に柏戸が存在したからだ。小学校の四年生年に柏戸は引退した。私は来年50歳になるが30歳代から、青森・岩手県を除く東北地方四県で相撲講演会を行ってきた。すべて柏戸が演題で現在も講演会を行っている。今年柏戸の母が亡くなったが母にも毎年お邪魔して会いに行ったが残念ながら97歳で息を引き取った。私の人生はこれからも柏戸一筋、柏戸命である
by 柏戸命 (2007-05-20 18:22)
柏戸命さま
コメントありがとうございました。長い間、柏戸をテーマに講演をされている方がいらしたとは、驚きとともに敬服いたします。
柏戸関の御母様が無くなったことは、私もニュースで知りました。自慢の息子に先立たれた母親は、きっと寂しい思いをしたことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
by あめちん (2007-05-20 20:38)