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涙、ナミダ、なみだ [日記・雑感]

先日(12/20)、TVドラマ「1リットルの涙」の最終回が放送されました。
妻は、涙も鼻水もグチャグチャにしながら、最後まで見ていました。
私は・・・普通に見ていました。

なんか、泣けないんですよ、私ってば。
みんなが口を揃えて「これ、絶対泣けるよー」という作品(映画、ドラマ、小説など)は、泣けた試しがない。
いや、絶対に泣かない。
というよりも、泣きたくない。
だって、なんか悔しいから。
制作サイドの「ほら、ここら辺で泣けよー」みたいな感じがして・・・泣きたくないんですよ。
私は、天の邪鬼ですから。
そういう「お涙ちょうだい」モノでは、絶対に泣かないんです。


でも、昔は泣いたこともありましたよ。
ドラえもんの映画で、「のび太と海底鬼岩城」のラストシーンで、バギーちゃんが捨て身でラスボスに体当たりをしてのび太たちを救うんですけど、最後に静香ちゃんが、バギーちゃんのネジを一つ手に持って、「バギーちゃん・・・」と泣く場面があるんです。
ここで、なぜか泣いた記憶があります。

あとは・・・
ちびまる子ちゃん
母の日スペシャルみたいな作品で、まる子が母の日のプレゼントであれこれ悩んだあげくハンカチを選んで、お母さんにプレゼントするけど、お姉さんが「あれ? それと同じやつ、母さん持ってるよ」という心ない言葉で、泣くまる子。
そこへお母さんがやってきて、自分が今まで持っていたハンカチをまる子にプレゼントするんですよ。
まる子は、お母さんからもらったハンカチのニオイをかいで、「お母さんの化粧のニオイがする」みたいなことを言うんですね。
ここで、なぜか泣きましたねー。

でも、それもこれも、幼い頃の話です。


成人してから、31歳になる今まで、泣いたことは・・・1回くらいしかありません。
悔し涙ですけどね。

2001年の5月頃に、うつ病になって、それまで勤めていた会社を辞めて、治療に専念して・・・だんだん調子が良くなっては来ているけど、就職活動がうまく行かない。
そんなとき(9月頃だったかなぁ)、当時の彼女(現在の妻)に抱きついて「働きたいけど、働けないんだよー」って泣いた記憶があります。


ほかには・・・
ワンピース
ウソップ海賊団を解散するシーン。
サンジが海上レストランを辞めて麦わら一味に加わるシーン。
ココヤシ村でナミが泣きながらルフィに救いを求めるシーン。
チョッパーがドクトリーヌの元を去り、麦わらの一味に加わるシーン。
それぞれの麦わらの一味は、仲間になる際には、涙を誘うんですよね。
感動して、心の奥底がブルブルと震えて・・・もう少しで、泣きそうになるけど、ワンピースでは、まだ泣いたことはないですね。


私が、なかなか泣けない、いや泣かない理由があるんですよ。
それは・・・
小さい頃、私は泣き虫でした。
兄貴と喧嘩して負けたとき、母親に叱られたとき、いつも泣いていました。
ある日、そんな私に、父親が言ったんです。
「男は、そんな簡単に泣くもんじゃない。男は人生の中で、3回しか泣いちゃいけない。
 1回目は、親と死に別れた時。
 2回目は、妻と死に別れた時。
 3回目は、子どもと死に別れた時。
 この3回だけしか、男は泣いちゃいけないんだ。わかったか?」

この言葉は、いまでも忘れていません。
心の奥底に深く刻まれています。

私が成人してから・・・
祖父が亡くなったときも、叔父が亡くなったときも、泣きませんでした。
両親が共働き(父親は大工、母親はパート)で、私は鍵っ子だったんですけど、私が小学2年生の頃、祖父母が一緒に住むようになってから、私は鍵っ子じゃなくなりました。
祖母がおやつを出してくれるし、祖父が将棋の相手をしてくれる。
特に祖父の将棋は、いつも私が負けました。当たり前ですね。小学生と大人の勝負ですから。でも、最後の一局だけは、わざと負けてくれて、「上手くなったなー」と言いながらお小遣いをくれました。
私は小学生の頃、兄貴の影響を受けて、剣道を習っていたんですけど、進級試験で級が上がる毎にお小遣いをくれたり、大会で入賞(3位以内)する度にお小遣いをくれました。
両親が共働きで家を空けている時は、祖父母が両親の代わりだったんです。

そんな祖父が亡くなったと聞いたとき、心の奥で、何かが崩れる音が聞こえました。
仕事をそっちのけ(ちゃんと課長に事情を説明して)で、札幌に帰って、棺桶に入っている祖父の遺体に柄杓で水をかけたり、葬式の後から告別式までの間、蝋燭の火が絶えないように寝ずに見張ったり、火葬場で骨を拾ったり・・・いろいろ死別の儀式をしたけど、泣くことはありませんでした。
逆に、少し心が楽になりました。
何故なら、祖父は脳梗塞で倒れて入院した後、腹部に動脈瘤が見つかり、いつ破裂して死ぬか分からない状態だったんです。それが、普通に苦しむことなく、他界したんです。
83歳だったと思います。
本当に大往生だったと思います。
「苦しむことなく、逝けてよかった」
これが、私の正直な気持ちでした。
だから、涙は出ませんでした。

生前は、直腸ガンの手術をして人工肛門を付けていたから、あの世では、不自由なく過ごしていると思うと、少し嬉しく思ったりもします。

今年の7月中旬頃、2001年5月~12月で治ったはずのうつ病が再発したんですけど・・・何月頃かは忘れましたが、私の夢の中に祖父が登場した時は、とても嬉しかったです。
病院に入院していてヨボヨボになっていた頃の祖父の姿ではなく、札幌で一緒に暮らしていた元気な頃の祖父の姿でした。
たぶん、うつ病を再発して、落ち込んでいた私を心配して、夢に出てきてくれたんだと思います。
今では、ことある毎に心の中で、祖父に対して「もう大丈夫だよ。焦らず、ゆっくり治すから」と語りかけたりしています。
たまに・・・もう、祖父と将棋を打つことができないんだぁ・・・と寂しく思うことはありますけど。


叔父(母の弟)が亡くなった時は、本当に突然でした。
あまり大きな声では言えませんが、叔父は一時期アルコールに溺れ、アル中になり、檻付きの病院に強制入院させられたことが数回ありました。
その頃の叔父の顔は、死人のような顔でした。目に覇気がなく、目がくぼんでいました。
でも、断酒会に入り、アルコールを断ち、無事に退院して、社会に復帰したんですよ。
そして、牧師さんに影響を受けて、洗礼を受けクリスチャンになりました。
クリストファーという洗礼名で、なんでもクリストファーは、「キリストを運ぶ人」という意味があるらしく、社会復帰後、タクシーの運転手をしていた叔父にはぴったりの洗礼名だと思いましたし、本人も自慢気でした。

そんな叔父が、自殺したんです。
クリスチャンなのに・・・

当時は、職場で徹夜しながら、電子署名法の認定対応に追われていました。
そこへ突然の訃報。
私の心の中には、何とも言えない感情がグルグルと渦巻きました。
「洗礼を受けてクリスチャンになったハズなのに、何故?」
「クリスチャンは自殺を禁じられているハズなのに、何故?」
「可愛い孫が生まれたばかりなのに、何故?」

すぐさま札幌へ帰った時には、もう祭儀場で葬儀が終わった後でした。
棺桶の中で花に囲まれている叔父を見て複雑な気持ちでした。
やっぱり、頭の中で、上記のような言葉がグルグルと渦巻いていました。

実家に帰省する度に、暇があればタクシーに乗せてくれて、東京出身の私の妻のために札幌の名所を巡ってくれたり、祖父の法事のときにお寺まで乗せていってくれたり、いつも私たちをいろんな所へ連れていってくれた叔父。
いつも明るくて、ひょうきんで「次男坊は、ひょうきんなヤツが多いんだ」とか「冬にアイスクリームを食べるヤツに悪いヤツはいないんだ」とか「どうもならんのだ」とか、いろんなコトを言っていた叔父。
そんな叔父が、目の前で棺桶の中で横たわっている・・・。
でも、泣けませんでした。

自殺したのは、何らかの理由があるんだろうし、自殺という最終的な決断を下した叔父の意見は尊重すべきだろうし。
しかし・・・クリスチャンとしての叔父は、果たして、死後、地獄へ堕ちることはないのだろうか?
私は、あの世に地獄は存在しないと思っています。
「あの世に地獄があって、悪いことをした人は、死んだら地獄に行く」と思い込んでいる人たちが、死後、集まって、生前に思い込んでいた地獄を勝手に創り出して、勝手に地獄を体験しているんだと思っています。
クリスチャンの叔父は、大丈夫なのだろうか?
自分の想念が創り出した地獄に捕らわれていないだろうか?
先に他界した祖父が、正しい方向へ叔父を導いてくれているだろうか?

叔父のことについては、心配ばかりしている。
でも、きっと、祖父が、叔父を正しい方向へ導いてくれていることだろうと、信じている。

だから、当時は泣かなかったし、今も泣かない。

 

2001年5月~12月で治ったはずのうつ病が、今年の7月中旬頃に再発して、自分の心と体が思い通りにならなくなっても、どうしようもなくなって死にたくなっても、泣きませんでした。
ただ、事実を受け止めるだけです。
自分は、うつ病。
ただ、それだけ。

たまに、うつ病のせいで行動できないのか、怠惰のせいで行動できないのか、判別できませんけど、もう、そんなときは、諦めて寝ます。
現在、私がかかっている医者曰く、
「寝たい時に寝て、やりたいときにやる。それが一番イイ治療法だ」

 


話がやや逸れたかな?

とにかく、私は泣かないんです。泣けないんです。
天の邪鬼な性格のせいもあるけど、幼い頃に父親に言われた「男は人生で3回しか泣いてはいけない」という言葉も効いていると思います。

・・・でも、父さん。
「1回目は親と死に別れた時」と言ったけど・・・親は二人いるよ。
どうしよう?
片方の親が他界した時は泣いて、もう片方の親が他界した時は泣かないなんて、器用なことはできないよ。

「3回目は子どもと死に別れた時」と言ったけど・・・もし子だくさんになったら・・・どうしよう?


まぁ、いいや。
過去の父親の言葉の揚げ足を取っても仕方がない。
とにかく、男なら、めそめそしてたらいけないんですよ。
「ここぞっ」という時以外は、泣いちゃいけないんですよ。
アムロみたいに泣き虫じゃいけないんですよ。

だから、私は泣かない。
感動作品を見ても読んでも、泣くことはない。
でも、ちゃんと感動はしているんだよ。ただ、泣かないだけ。

それって、ちょっと寂しいかなぁ?
泣くことで、ストレスが発散できたりするらしいし・・・
泣くことを我慢することは、心にも体にも、あまり良くないことなのかなぁ?

 

私の心は、どこか欠如しているのだろうか?
簡単には泣けないなんて・・・

 

 

 


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mitsukun3

本当に泣きたい時ほど、泣けないもの、とも聞きますし、実際自分もそんな時ありました。心配しないで。叔父さまは、悪いことをしたのでなければ、きっと、おじいさまが、天国へ導いてくださっていると私は信じます。そうでなければ、叔父さまが報われないではありませんか。可哀想ではありませんか。きっと、きっと、おじいさまと今頃楽しくお話してみえると思います。
by mitsukun3 (2005-12-23 01:55) 

しゃくれアゴ

みつくんさん、コメント&nice!ありがとうございます。
そして、暖かいお言葉を頂きまして、本当にありがとうございます。
きっと祖父(母方の父)が、叔父(母の弟)を正しい方向へ導き、いっしょに過ごしていることと思います。

つい最近(12/20)、伯父(父の兄)が他界しました。
最初は腎臓ガンで、それが膵臓や肝臓などへ転移し、末期だったそうです。
入院中でも、元気なうちに会いたかったのですが、私の願いは叶いませんでした。
父からの知らせも、ちょうど家を留守にしていて、いつの間にか携帯電話も電源OFF状態になっていて、受けることができませんでした。
釧路に住んでいた伯父だったのですが、お盆に釧路へ行くたびに、毎回カニを山ほど用意してくれて、食べさせてくれたり、あれこれ色々とお世話になっていた伯父でした。
だから、何かあれば、すぐにでも釧路へ行き、通夜や告別式へ参加したいと思っていたのですが、タイミングがずれ、それすらも叶いませんでした。
きっと、私が参加すべき通夜では無かったのでしょう。
伯父が望まなかったのでしょう。だからこそ、12/23になってから、父から「事後報告になってしまうけど・・・」と連絡を受けました。
きっと、伯父は私に会いたくなかったのでしょう。末期ガンで弱り切った体や肝臓ガンで黄疸が出ている顔を見られたくなかったのでしょう。
だからこそ、父からの連絡のタイミングがずれたんだと思います。
父が、私の名前で花代を出したということを聞き、変に納得しました。

私は、東京という釧路や実家のある札幌から離れた場所で、自分の人生を自分なりに楽しみ、生きている姿を見て貰おうと思いました。
だから、伯父の通夜や告別式へ参加できなかったことを悔やむことなく、伯父の死を受け入れ、伯父の分まで楽しく生きてやろうと思います。
伯父の分まで酒は飲めないけど・・・
こういうことを受け止め、生きていくことが、故人への花向けであり、一番いい供養なんだと思いますから。

まさか年内に他界するとは思ってもいなかったから、もう伯父宛に年賀状出しちゃったんですけどねー。
まぁ、それも良しとしましょう。
きっと読んでくれることでしょう。
末期ガンだったけど、モルヒネのおかげで苦しむことなく逝けて良かったね、伯父さん。肝臓ガンで黄疸が出過ぎて、黄色からどす黒い色になる前に逝けて良かったね、伯父さん。
それだけが、救いだよ。ほんとに。
伯父さんの死をしっかりと受け止め、私は生きていきます。年を重ねるとは、そういうことだと思うから。
by しゃくれアゴ (2005-12-24 01:26) 

mitsukun3

やせて元気を失った姿を、しゃくれさんに見せたくなかった。しゃくれさんに、立派で親切な伯父さんの姿を、思い出の中に焼き付けていて欲しかった・・・そんな気がします。伯父さんの優しさ、男気、かもしれません。うちも、父を癌で亡くしました。お気持ちは、理解できるつもりです。
by mitsukun3 (2005-12-24 18:16) 

しゃくれアゴ

みつくんさん、コメントありがとうございます。
私の記憶の中には、糖尿病にはなったけど、元気だったころの伯父の姿、笑顔しかありません。
そう考えると、通夜に行けなかったのも、良かったのかも知れませんね。
伯父には、痛みも苦しみもない世界で、よろしくやって欲しいものです。(笑)
by しゃくれアゴ (2005-12-25 01:03) 

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