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記事 / 70年代前半、公明党は「反自民・全野党結集」の方針に従って「日米安保条約の即時破棄」を訴えた。そして自民党は議席を減らし、与野党の議席差が伯仲する「伯仲国会」が実現した。 ところが80年の総選挙で自民党が圧勝して「伯仲国会」が終わると、公明党は本格的に自民党・民社党との「自公民路線」にかじを切った。そしてこの頃、公明党は自衛隊についても「容認」へと方針転換した。 92年の湾岸戦争後には、PKO法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)を自公民3党による交渉で成立させた。