記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830件
欣(ねが)へばすなはち浄土につねに居せり
(6)欣(ねが)へばすなはち浄土につねに居せり
さて二つ目の「欣浄厭穢(ごんじょうえんね)の妙術」ですが、このことばの背景には善導の『般舟讃』の次の文章があると思われます、「凡夫の生死貪じて厭はざ..
タグ: 親鸞を読む
死の怖れ
(5)死の怖れ
死の怖さも時代によって色合いが違うような気がします。われら現代人は、これまでつづいてきた「いのち」があるとき全き「空無」に帰してしまうことに言いしれない怖れを感じるのではないでし..
タグ: 親鸞を読む
長生不死の神方
(4)長生不死の神方
「つつしんで往相の回向を案ずるに、大信あり」につづいて、では大信とは何かを説くのですが、親鸞はこれでもかとばかり信心の相を十二も上げています。なかでも目を引きますのが第一の「..
タグ: 親鸞を読む
つつしんで往相の回向を案ずるに、大信あり
(3)つつしんで往相の回向を案ずるに、大信あり
もし本願が何か摩訶不思議な力でわれらに直接はたらきかけるのでしたら、そしてわれらがそのはたらきかけを感じること自体も本願の力によるのでしたら、ある人は..
タグ: 親鸞を読む
本願のひとりばたらき
(2)本願のひとりばたらき
はたらきかける「法」と、はたらきかけられる「機」とが「一つ」になっていることが他力の信であることを確認しましたが、そのことについてもう少し考えを進めておきましょう。法であ..
タグ: 親鸞を読む
法と機
第2回 真実の信楽まことに獲ることかたし
(1) 法と機
「序」のあと、「信巻」の標挙の願(巻頭に掲げられる願)がきます。
至心信楽の願(第十八願) 正定聚(かならず仏となることに定まってい..
タグ: 親鸞を読む
三心一心問答
(10)三心一心問答
もういちど「体」と「力用」を持ちだして再説しますと、弥陀の本願はここではないどこかに存在する「体」ではありません、いまわれらの身の上に生き生きとはたらきかけている「力用」です。..
タグ: 親鸞を読む
一心
(9)一心
「序」の第三段、最後のくだりです。
ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家(龍樹・天親を論家といい、曇鸞以下の高僧たちを釈家という)の宗義を披閲(ひえつ)す。広く三経..
タグ: 親鸞を読む
定散の自心に迷ひて
(8)定散の自心に迷ひて
「自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す」ことを見てきましたが、次に二つ目の「定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し」という点です。まずことばの意味から。「定散の自心」とは「定善と散..
タグ: 親鸞を読む
プラサーダ
(7)プラサーダ
「自性唯心」の考えは、心が濁っていることで「心の中」の弥陀と浄土を見ることができないとしますが、この「心が濁っている」ということから頭に浮びますのが「プラサーダ」ということばです..
タグ: 親鸞を読む
体と力用(りきゆう)
(6)体と力用(りきゆう)
弥陀も浄土ももともとわれらの心の中にあるのだが、無明煩悩に覆われてそれが見えなくなっているだけなどと言われますと、とんでもない説に思えます。浄土の教えでは「法蔵菩薩、いま..
タグ: 親鸞を読む
自性唯心に沈みて
(5)自性唯心に沈みて
「序」の第二段に進みます。
しかるに末代(末法の世)の道俗、近世(こんせ)の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶(へん)す。定散(定善と散善)の自心に迷ひて金剛の真信に昏(..
タグ: 親鸞を読む