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タグ検索トップ  >  記事  /  親鸞を読む
記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830
乃至一念
コギト ] 06:34 02/15
(8)乃至一念 もう一度第十八願にもどりますと、「心を至して信楽してわが国に生れんと欲ひて、乃至十念せん」とあり、この「乃至十念」は名号を称えることを意味しますから、その成就文の「乃至一念」も(十念..
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本願と成就文
コギト ] 05:18 02/14
(7)本願と成就文  第十八願につづき、その成就文が『大経』と『如来会』から引かれます。  本願成就の文、『経』(大経)にのたまはく、「あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん..
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お恥ずかしい
コギト ] 06:16 02/13
(6)お恥ずかしい  ここでまたぼく流の言い方をさせていただくとしますと、「わたしのいのち」は一生造悪の「わたしのいのち」のままで、すでに「ほとけのいのち」のなかに摂取不捨され生かされていることに思..
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ただ五逆と誹謗正法を除く
コギト ] 06:01 02/12
(5)ただ五逆と誹謗正法を除く  さあ残ったのが「ただ五逆と誹謗正法を除く」という文言で、『如来会』にも同じ趣旨の但し書きがついていますが、これは一体何かという疑問が起こらざるを得ません。ここまで見..
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心々に回向せしむ
コギト ] 06:01 02/11
〈4〉心々に回向せしむ 最後の「ただ五逆と誹謗正法を除く」という一文が気になりますが、その前に『如来会』の文を見ておきましょう。 まず『大経』では「心を至し信楽して」とある箇所が『如来会』では「わ..
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もとより真実の心なし、清浄の心なし
コギト ] 06:10 02/10
(3)もとより真実の心なし、清浄の心なし  ここでは第十八願の願文が出されるだけで、その解説は一切ありませんが、幸いなことに『尊号真像銘文』において親鸞自身がこの文を詳しく注釈してくれていますので、..
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至心信楽は課されているのではなく
コギト ] 05:35 02/09
(2)至心信楽は課されているのではなく  あらためて本願の形式を確認しておきますと、かならず「たとひ(もし、の意)われ仏を得たらんに」からはじまり、「正覚を取らじ」で締めくくられます。つまり「わたし..
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至心信楽の願
コギト ] 05:38 02/08
第3回 すなはち往生を得  (1) 至心信楽の願  真実の信心についての総説のあと、経典の引用がはじまります。まずは『大経』と『如来会』から第十八願が引かれます。 至心信楽の本願(第..
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たまたま
コギト ] 05:51 02/07
(10)たまたま 本願は「よきひと」を通してわれらに届けられることを見てきましたが、さて、そのことがどうして「真実の信楽まことに獲ることかたし」ということにつながるのでしょう。問題は「よきひと」に「..
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よきひと
コギト ] 05:44 02/06
(9)よきひと われらは本願そのものと直接遇うことはできず、そこに「よきひと」がいなければならないということ、これについてもう少し考えたいと思います。 キリスト教においてもイスラム教においても、人..
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真実の信行まことに獲ることかたし
コギト ] 05:56 02/05
(8)真実の信楽まことに獲ることかたし  先の文につづくところで、難信ということが言われます。  しかるに常没の凡愚、流転の群生、無上妙果の成じがたきにあらず、真実の信楽まことに獲ることかたし。な..
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念仏往生の願と至心信楽の願
コギト ] 06:16 02/04
(7)念仏往生の願と至心信楽の願 さて信心の相が十二も上げられ讃えられた後、「この心すなはちこれ念仏往生の願よりいでたり」と、信心の源となる願が念仏往生の願であることが明らかにされます。これまで繰り..
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