記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830件
名号という行
(2)名号という行
「名号という行」という言い方をしてきましたが、これには疑問が出るかもしれません、名号を称えること、すなわち称名あるいは念仏が行ではないのか、と。確かに「行巻」の冒頭に「大行とはす..
タグ: 親鸞を読む
行に就いて信を立つ
第7回 一心専念
(1) 行に就いて信を立つ
深心釈の最後で、第五段になります。
またこの正(正行のこと。読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆の五行)のなかについてまた二種あり。一つには、一心..
タグ: 親鸞を読む
諸仏とは誰?
(11)諸仏とは誰?
ここで考えておきたいのは諸仏と言われるのはいったい誰のことかということです。浄土教典の説き方では、この娑婆世界に釈迦仏がおられるように、十方世界に諸仏がおられるとされます(三千..
タグ: 親鸞を読む
人に就いて信を立つ
(10)人に就いて信を立つ
深心釈の第四段です。
釈迦一切の凡夫を指勧(しかん)して、この一身を尽して専念専修して、捨命以後さだめてかの国に生るれば、すなはち十方諸仏ことごとくみな同じく讃め、..
タグ: 親鸞を読む
如是如是
(9)如是如是
先回のところで、『観経疏』「定善義」から「神通如意」についての注釈文が引用されていましたが、そのなかに「(阿弥陀仏は)五眼円かに照らし、六通自在にして、機の度すべきものを観そなはし..
タグ: 親鸞を読む
仏証を請う
(8)仏証を請う
このなかで目を引きますのが、「平章(ひょうしょう)することありといへども、かならずすべからく仏証を請うて定とすべきなり」という文言です。たとえ自分で「そうか」と了解できたとしても..
タグ: 親鸞を読む
ただ仏語を深信して
(7)ただ仏語を深信して
深心釈の第三段です。
また一切の行者、ただよくこの『経』(観経)によりて行を深信するは、かならず衆生を誤らざるなり。なにをもつてのゆゑに、仏はこれ満足大悲の人なるがゆ..
タグ: 親鸞を読む
真の仏弟子
(6)真の仏弟子
最後に「仏教に随順し、仏意に随順」し、それゆえに「仏願に随順する」人を「真の仏弟子と名づく」と言われています。本願の名号を信受した人が「真の仏弟子」であるというのです。この「真の仏..
タグ: 親鸞を読む
仏教に随順し、仏意に随順する
(5)仏教に随順し、仏意に随順する
『大阿弥陀経』や『平等覚経』という『無量寿経』の古いバージョンをみますと、『大経』や『如来会』では第十七と第十八の二つの願に分かれているのが一つの願となってい..
タグ: 親鸞を読む
一心にただ仏語を信じて
(4)一心にただ仏語を信じて
深心釈の第二段です。
また決定して深く、釈迦仏この『観経』に三福(世福、戒福、行福)九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報(浄土すなわち依報と阿弥陀仏および聖聚..
タグ: 親鸞を読む
光と闇
(3)光と闇
今度は逆に、機の深信はあるが法の深信はないという事態はどうでしょう。これは実際にはありそうにないことですが、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫」とは信じているものの、「かの願力に乗じて、さ..
タグ: 親鸞を読む
機の深信と法の深信はひとつ
(2)機の深信と法の深信はひとつ
そこでもういちど「本願を信ずる」とはどういうことかという原点に立ち返らなければなりません。「信巻」の序の、さらにその冒頭に「信楽を獲得することは、如来選択の願心より..
タグ: 親鸞を読む