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記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830
願心の回向成就したまふところ
コギト ] 08:06 04/16
(5)願心の回向成就したまふところ 「信巻」のはじめからここまでの締めの文がきます。ここで真実の信心とは何かという問いに対する答えが一旦締めくくられます。 しかれば、もしは行、もしは信、一事として..
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感じるということ
コギト ] 05:25 04/15
(4)感じるということ 一般に何かを「見る」とき、その何かはあちらにあり、こちらにそれを見る主体があるというように、主体と客体とが分離されています。それに対して何かを「感じる」とき、その何かはあちら..
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つねにわが身を照らしたまふ
コギト ] 05:34 04/14
(3)つねにわが身を照らしたまふ  『往生要集』からの二つ目の文、「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつるにあたはずといへども、大悲、倦きことなくして、つねにわが身を照らした..
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この心すなはち他力なり
コギト ] 05:41 04/13
(2)この心すなはち他力なり  『華厳経』と菩提心ときますと、おのずと明恵のことが連想されます。親鸞と同年の華厳宗の僧・明恵は法然の『選択集』を一読するや、ここでは菩提心が否定されているとして厳しく..
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菩提心
コギト ] 05:40 04/12
第9回 三心一心問答  (1) 菩提心      善導からの引用が長く続いてきましたが、次いで源信の『往生要集』から二文引かれます。  『往生要集』にいはく、「〈入法界品〉にのたまは..
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下至十声聞等
コギト ] 05:12 04/11
(11)下至十声聞等  善導が「下至十声一声等に及ぶまで」と言いますのは、「わずか十声、一声でも」念仏を申すことでかならず往生できるということですが、こう言うことで意味ははっきりするものの、その反面..
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大きにすべからく慚愧すべし
コギト ] 05:37 04/10
(10)大きにすべからく慚愧すべし    一つ目の文は『般舟讃』の冒頭の一文です。『般舟讃』とは「般舟三昧」(特別な期間を設けて念仏三昧の行をすることで諸仏を目の当たりにすることができるといわれ、諸..
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釈迦如来はまことにこれ慈悲の父母なり
コギト ] 05:31 04/09
(9)釈迦如来はまことにこれ慈悲の父母なり 次に「三心(至誠心・深心・回向発願心)すでに具すれば、行として成ぜざるなし。願行すでに成じて、もし生ぜずは、このことはりあることなしとなり」という文ですが..
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還相回向
コギト ] 05:11 04/08
(8)還相回向 「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」と言うとき、往相回向も還相回向もみな如来の回向であるということ、ここに『教行信証』の核心があります。往..
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生死に回入して衆生を教化する
コギト ] 05:42 04/07
(7)生死に回入して衆生を教化する  回向発願心釈を締めくくり、さらに三心釈全体をまとめることばがきます。  また一切の行者、行住坐臥に三業の所修、昼夜時節を問ふことなく、つねにこの解(げ..
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貪愛・瞋憎の雲霧
コギト ] 05:57 04/06
(6)貪愛・瞋憎の雲霧  この譬えにおいて水火の二河は貪愛瞋憎の心(煩悩)を意味し、四五寸の白道が清浄願往生の心(信心)を指しますから、清浄願往生の心は貪愛瞋憎の心のただなかにあります。われらに清浄..
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なんぢ一心に正念にしてただちに来れ
コギト ] 05:28 04/05
(5)なんぢ一心に正念にしてただちに来れ それが「東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く、〈きみただ決定してこの道を尋ねて行け、かならず死の難なけん。もし住まらばすなはち死せん〉と。また西の岸の上に、..
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