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記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830
如来の至心をもつて
コギト ] 06:12 04/28
(4)如来の至心をもつて どこかからやってくる啓示という言い方をしてきました、そしてそれはもう否定しようのない真実としてやってくると。これがここで「如来の至心をもつて、諸有の一切煩悩悪業邪智の群..
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虚仮諂偽にして真実の心なし
コギト ] 06:14 04/27
(3)虚仮諂偽にして真実の心なし 親鸞もまた「毎日毎夜に実験しつつある所」を語る人ですから、「仏のお心というものは云々」とトクトクと語ることはできません。それが「仏意測りがたし。しかりといへども、ひ..
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仏意測りがたし
コギト ] 05:45 04/26
(2)仏意測りがたし さて親鸞はこの仏意釈をはじめるに当たり、「仏意測りがたし。しかりといへども、ひそかにこの心を推するに」と述べていますが、この躊躇いともいうべき心の動きについて考えておきたい..
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仏意釈
コギト ] 05:00 04/25
第10回 至心は本願海から (1) 仏意釈 本願では至心・信楽・欲生の三心が誓われているのに、天親はどうして一心というのだろうという問いが立てられ、それに対して字訓釈を施し、本願の三心はみな真..
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「わたしの心」と「ほとけの心」
コギト ] 05:50 04/24
(13)「わたしの心」と「ほとけの心」 しかし「疑蓋まじはることなし」とはどういうことでしょう。「わたし」が本願の真偽を捉えようとしますと、かならず「疑蓋まじはる」ことになるとしましたら、いった..
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疑蓋まじはることなし
コギト ] 06:00 04/23
(12)疑蓋まじはることなし このように一見したところかなり複雑な様相を呈していますが、親鸞がこの字訓釈の結論として取り出していますのは、至心も信楽も欲生もみな「疑蓋まじはることなし」ということです..
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至心は、すなはちこれ真実誠種の心
コギト ] 05:35 04/22
(11)至心は、すなはちこれ真実誠種の心 字訓釈のつづきです。 あきらかに知んぬ、「至心」は、すなはちこれ真実誠種(しんじつじょうしゅ、さとりの種となる)の心なるがゆゑに、疑蓋(ぎがい)まじはるこ..
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至とはすなはちこれ真なり、実なり、誠なり
コギト ] 05:56 04/21
(10)至とはすなはちこれ真なり、実なり、誠なり  そこで『大経』の第十八願にでてくる「至心」、「信楽」、「欲生」ということばが無意識のうちに発信しているものをキャッチするために、それぞれを構成して..
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字訓釈
コギト ] 05:34 04/20
(9)字訓釈  親鸞の問いに戻りますと、本願では至心・信楽・欲生の「三心」が誓われているのに、天親は「一心」というのはどうしてか、と問い、それに対して、天親は愚かなわれらに分かりやすいように、本..
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一心ということ
コギト ] 05:39 04/19
(8)一心ということ 先ほど仏教の因果においては因と果は別ものではなく「ひとつ」であると言いました。弥陀の願心が因となり、われらの信心が果として生まれるのですが(これが「如来回向の信心」ということで..
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三心一心問答のはじまり
コギト ] 05:34 04/18
(7)三心一心問答のはじまり 「もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし」と締めくくられましたが、そのあと「信巻」の目玉ともいうべき「三心..
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因と果
コギト ] 05:40 04/17
(6)因と果 この文では弥陀の願心を因、われらの信心を果と表現していますが、この言い回しから、どこかにある弥陀の願心が因となって、われらの信心を果として引き起こしていると受けとるべきではありません。..
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