記事 での「親鸞を読む」の検索結果 2,830件
「自力の信」と「他力の信」
(4)「自力の信」と「他力の信」
頭に浮ぶのが明恵の法然批判です。明恵は『選択本願念仏集』を読むや、そこで菩提心が否定されていることに驚き(法然は菩提心を余行として捨て、念仏一つを取ります)、菩..
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信は道の元とす
(3)信は道の元とす
さらに『華厳経』からの引用がつづきます。
またのたまはく、「信は道の元とす、功徳の母なり。一切のもろもろの善法を長養す。疑網を断除して、愛流(あいる、愛欲の煩悩)を出で、..
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「ほとけのいのち」として生きる
(2)「ほとけのいのち」として生きる
しかし、煩悩具足の凡夫が信心を得ると「如来と等し」というのは、まさに驚天動地と言わなければなりません、不可称・不可説・不可思議です。
実際、この教説は関東..
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もろもろの如来と等し
第12回 現生の益
(1) もろもろの如来と等し
信楽釈がつづきます。『涅槃経』のあと『華厳経』から引用されます。
『華厳経』にのたまはく、「この法を聞きて信心を歓喜して、疑なきものは、すみ..
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信心があるから本願がある
(12)信心があるから本願がある
「信不具足」の二つ目は「ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん」ことです。これは何気なく読み過ごしてしまいそうなところですが、大事なことを言っている..
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聞すなわち信
(11)聞すなわち信
さらに『涅槃経』から二文引かれます。
またのたまはく、「あるいは阿耨多羅三藐三菩提を説くに、信心を因とす。これ菩提の因、また無量なりといへども、もし信心を説けば、すなはち..
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光と闇
(10)光と闇
光が差し込んでも、闇が消えるのではなく、むしろまったき闇であることが明らかになるということ、この微妙な関係についてもう少し考えを廻らしておきたいと思います。光とは仏の智慧であり、..
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一切衆生悉有仏性
(9)一切衆生悉有仏性
この文は、菩薩には「四無量心」と「大信心」と「一子地」という仏性がそなわっており、一切衆生もまた「つひにさだめてまさに(いつかからならず)」それらを得ることになるから、「..
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『涅槃経』
(8)『涅槃経』
第十八願成就文のあと、『涅槃経』から引かれます。
『涅槃経』にのたまはく、「善男子、大慈大悲を名づけて仏性とす。なにをもつてのゆゑに。大慈大悲はつねに菩薩に随ふこと、影の形に..
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名号は「こえ」
(7)名号は「こえ」
「いのち、みな生きらるべし」という「ねがい」は、名号の「こえ」となってわれらのもとに届けられ、その「こえ」を聞くことにより、われらに信心歓喜(信楽、浄信)が生まれるというこ..
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その名号を聞きて
(6)その名号を聞きて
※事情があり、更新が遅れました。
信楽は如来から賜るものであると述べられましたが、そのことが経典により確かめられます。まず『大経』と『如来会』から第十八願の成就文が引か..
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濁ったレンズ
(5)濁ったレンズ
われらの「濁りによどんだ心」に如来の「澄みきった心」が与えられたとき、何が起こるでしょう、これまでの濁りが取れて、澄みわたった心になるのでしょうか。「イエス」と言えればすっき..
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