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タグ検索トップ  >  記事  /  司馬 遼太郎
記事 での「司馬 遼太郎」の検索結果 180

 沢は谷と呼ぶこともあります。水流があるかないかは関係ありません。地形的見て両側を尾根で挟まれた溝が沢であり、谷であるわけですよ。ついでながら、沢の右岸、左岸というときは、必ず山頂側から見て右、左とい..
タグ: 司馬 遼太郎 徳永 哲哉
善光寺聖
 この鎌倉期においては、東は相模あたりから、北陸道、中山道、東海道、畿内はいうまでもなく、山陽道から九州にかけてまで、野にも山にも念仏が満ちていた。  社会科の教科書ふうにいえば念仏門は法然にはじまっ..
タグ: 司馬 遼太郎
ローマの植民地だったかどうか
にべもない言い方をすれば、ヨーロッパに、文明的な明暗ができるのは、ローマの植民地になったかならなかったかによる。ローマの植民地だった地域のほうが、胸を張っているのである。フランスがいい例で、元来、ケル..
タグ: 司馬 遼太郎
オトウサン、オカアサン
 余談ながら、オトウサン、オカアサンということばはこの(住人注;明治7年の小学校の)教科書、教材のなかにまだ出ていない。単に、「親」 として出てくる。オヤという日本語はむろん古い。 さらにはチチ・ハハ..
タグ: 司馬 遼太郎

古代都市の城壁の外、つまり遠い郊外を野という、そこに住む人、つまり農民が野人の原義である。                   論語孔子 (著), 貝塚 茂樹  中央公論新社 (..
タグ: 司馬 遼太郎 貝塚 茂樹
文を以て友を会し、友を以て仁を輔く
二四 曽子曰わく、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔( たす )く。 ~中略~ 曽先生がいわれた。 「 君子は学問によって友だちを集め、友だちの交わりによって仁徳の完成を助けとする ..
タグ: 論語 司馬 遼太郎 曽子
伊達家宇和島十万石
 伊達家宇和島十万石は独眼竜で知られる伊達政宗の長男、秀宗から九代宗徳まで続き、明治を迎えた。藩を築くにあっては仙台藩から武家をはじめ職人、商人なども多数移住したというから、東北の上質な文化が、のどか..
タグ: 司馬 遼太郎 山折 哲雄 黒田 仁朗
重信川
 豊臣時代までは、伊予第一の川といううことで、伊予川とよばれていた。重信というのは、改修者の名である。日本の河川で人名がついているのは、この川だけではないか。 秀吉の子飼いの大名には土木家が多かった。..
タグ: 司馬 遼太郎
伊予松山藩
伊予松山藩十五万石の久松家は家康の異兄弟の家系で、徳川の親藩であった。最初は家中に三河派などもいて武張った風もあったかもしれないが、次第に伊予ぶりになり、江戸後期からは俳諧がさかんになって、たとえば武..
タグ: 司馬 遼太郎
伊豫豆比古命神社
長曾我部(住人注;伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ) 第十四代宮司 長曾我部 延昭氏) 「古事記」ではイザナギとイザナミが最初淡路島、次に四国を生みます。ここで「四国は身一つにして面四つあ..
タグ: 司馬 遼太郎 山折 哲雄 黒田 仁朗
和によって亡ぶ
人の意見は、一致しないのが普通である。そこでその是非を互いに論じ合うのは、本来、公事のためのはずである。ところがある者は自分の足らない所を隠し、その誤りを聞くのを嫌い、自分の意見に対してその是非を論ず..
タグ: 司馬 遼太郎 山本 七平 磯田 道史
高橋是清
 話がかわるが、旧幕時代、渡米して、自分が知らぬまに奴隷に売られていた若い仙台藩士があった。ブルックスはこの若者をも救った。かれのために契約を破棄し、自由の身にしてやった。奴隷の青年とは、高橋是清(一..
タグ: 司馬 遼太郎
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