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椋神社(埼玉県秩父市下吉田) [歴史散歩]


 秩父市中心部から国道299号線を小鹿野(おがの)方面へ向かい、途中蒔田(まいた)から県道270号線で下吉田を目指します。しばらく走ると県道37号線に出るので左折、龍勢会館前の交差点を過ぎてから約500メートルほど進むと左手に椋神社(むくじんじゃ。下吉田7377)があります。
 1884(明治17)年11月1日、秩父事件で武装蜂起した約3,000名の農民が結集した場所としても知られている神社です。
 秩父は山地であるため稲作にはむかず、かわって養蚕や絹織物業が盛んでしたが、1859年に貿易が開始されると生糸生産が産業の中心となりました。しかし、1881年から始まった松方正義によるデフレ政策によって大不況が起こり繭の価格も暴落し、秩父の多くの農民も破産に追い込まれることになりました。
 農民は困民党を組織し負債の減免などを求め請願運動を行ないましたがかなわず、やむなく武力蜂起することとなりました。武装蜂起後、二隊に別れた農民軍は秩父西部の中心地小鹿野に進軍し、さらに大宮郷(現秩父市街)を攻めて秩父郡役所・警察署・裁判所などを制圧しました。
 しかし蜂起から約10日間で明治政府の軍隊・警官隊によって鎮圧されました。
 現在、この事件は自由民権運動、すなわち人権保障・国会開設・憲法制定などを求めた明治初期の運動の歴史の一環として理解されており、農民を中心とする民権運動の最後の武力闘争として評価されています。

本殿から境内を見たところ。ここは約30メートル程四方の広さがあります。

事件100周年を記念して1984年に建てられた秩父事件百年の碑と記念像。

秩父事件百年の碑。

椋神社はロケットを打ち上げる祭「龍勢祭り」でも有名な神社です。遠くの山の中腹に打ち上げ用のやぐらが見えます。近くの龍勢会館(埼玉県秩父市)で、この祭りについて知ることができます。

■参考資料
『ガイドブック秩父事件』秩父事件研究顕彰協議会編、新日本出版社、1999年
『新版角川日本史辞典』、朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年
『埼玉県の歴史散歩』埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会編、山川出版社、2005年

椋神社


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