SSブログ

旧中山道(きゅうなかせんどう) [旧中山道]

・(21)小田井
笑い坂(長野県御代田町・軽井沢町)
追分分去れ(長野県北佐久郡軽井沢町)
・(20)信濃追分宿跡(長野県北佐久郡軽井沢町)
・(19)沓掛
・(18)軽井沢宿(長野県北佐久郡軽井沢町)
・(6)桶川宿跡…中山道の宿場町で皇女和宮も宿泊した地(埼玉県桶川市)
  ┠桶川宿本陣跡…桶川宿における大名・公家クラスの宿泊施設で建物が一部現存。
  ┠桶川宿跡の歴史的建造物…宿場町をほうふつとさせる元旅籠などの歴史的建造物。
  ┗松山道道標…松山(東松山市)に至る道に建つ道しるべ
・浦和(埼玉県)
・板橋(東京都)

 江戸時代、大名が江戸と国元を往復させられるいわゆる「参勤交代」のため、あるいは幕府に必要な通信・交通のため、幹線道路が幕府によって整備されました。当然これにより人や物資の流通も盛んとなり、経済・文化の発展にも貢献しました。
 特に五街道(東海道・中山道・奥州街道・甲州街道・日光街道)は重要で、幕府の道中奉行が管轄しました。
 桶川宿のある中山道(なかせんどう)は、徳川家康が征夷大将軍になる以前から整備が始まっていましたが、江戸日本橋と近江草津を結ぶ幹線道路で宿駅が 67ありました。草津は東海道の宿駅でもあり、ここから京都にもつながっていました。江戸から草津までの距離は約130里(約507キロメートル)です。参勤交代でこの中山道を利用した大名は30人以上いるそうです。
 主な宿駅は、江戸の日本橋から板橋(東京都)・浦和・(6)桶川・熊谷(以上埼玉県)・高崎・安中(以上群馬県)・(18)軽井沢宿・(19)沓掛・(20)信濃追分・(21)小田井・岩村田・下諏訪・贄川・馬籠(以上長野県)・中津川・加納・関ヶ原(以上岐阜県)・柏原・守山(以上滋賀県)などです。
 また主な関所は碓氷(群馬県)・木曽福島(長野県)・贄川(長野県)などです。

■関連記事
『街道めぐり 中山道 風の旅―軽井沢‐馬籠編』さきたま出版会、2004年・笑い坂(長野県御代田町・軽井沢町)・ 追分分去れ(長野県北佐久郡軽井沢町)

■参考資料
『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年
『国史大辞典』吉川弘文館、
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。