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日米和親条約調印地(神奈川県横浜市中区) [歴史散歩]


 横浜開港資料館(旧英国領事館。横浜市中区日本大通3)のすぐ南側に「開港広場」があり、そこにこの「日米和親条約調印地」の記念碑が建っています。大桟橋埠頭(メリケン波止場)のすぐ近くです。
 横浜が開港地と定められる以前、ここは半農半漁の村で、戸数約90戸、人口約350人ほどの小さな村でした。この辺りは砂州になっていて、沼地も多くあったそうです。そこには「水神の森」と呼ばれる森があり、近くに「横浜応接所」が急きょ建設されました。1854(嘉永七)年、ここで日米和親条約が締結されました。当時森にあった玉楠(たまくす)の木の根はその後も生き延び、横浜開港資料館の中庭で今も元気に育っています。
 日米和親条約はペリーの二度目の来航の後結ばれた条約で、日本が鎖国を終焉させることとなった条約です。この結果、品川台場(東京都港区ほか)の建設も一部中止されることになりました。この条約はまた「神奈川条約」とも言われます。下田・箱館港の開港や薪水の提供、領事館の下田設置などを定めたものですが、自由貿易を認める条約ではありませんでした。

開港広場(写真左)付近。遠くに神奈川県庁の建物も見えます(写真中央やや右に見える塔)。(2005年5月8日)

■参考資料
『横浜開港資料館総合案内』1988年
『新版角川日本史辞典』朝尾直弘・宇野俊一・田中琢、角川書店、1996年

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