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沖縄・4 [■旅行記]

10/7(土)3日目

   朝起きて,すぐに風車の取り付け工事はどうなっているか見てみると,ちょうどクレーンで主塔の三段目を吊り上げ,2段目にゆっくりと設置しようとしているところだった。既に取り付けられている二段目の筒の上の穴の部分からヘルメットをかぶったおじさんが頭を出していた。昨日と同じ展望レストランでバイキングの朝食を済ませ,出発の準備をする。部屋を出るぎりぎりまで工事を見ていたが,結局三段目を設置し,クレーンで吊っている状態までしか見ることができなかった。きっと万一のために吊った状態にしておき,筒の内側の結合部分ではボルト締めの真っ最中なのだろう。もう,今日の夜には沖縄を後にするので,ホテルには戻らない。完成まで見ることは残念ながらできなかった。

  チェックアウトして出発する。良い心がけの賜物として,追加料金はゼロだった。旅館だと,従業員が総出で送り出してくれることがあるが,こちらはチェックアウトを担当してくれたホテルマンからカウンター越しに「ありがとうございました」と言われ,荷物を持ってスタスタ出て行くだけなので,とてもあっさりしていた。

  まず,昨日の夜行った灯台のところにもう一度行ってみる。もう10月だというのに日差しが強くとても暑かった。石造りの展望台のようなものがあり,そこから崖の下の海を見下ろすことができた。波打ち際は海の色が変わっていてとてもきれいだった。

  その後,昨日行った嘉手納基地にもう一度行ってみることにする。丘の上に米軍のミリタリー物を売っている車と数人の見物人がいた。基本的に戦争反対のオイラは、「安保の丘」で米軍関係品の売り買いをするってどうなのだろう,とふと思ったが,いろんな武器を売るほど持っているミリタリー系のおじさんを怒らせると怖いので黙っていた。

  昨日は着いた時間が遅かったので,今日のように早い時間なら飛行機がたくさん飛ぶのではないかと期待していたのだが,小型機が飛んでいる以外,全然飛ぶ気配はなかった。昨日ライトを点滅させたり,エンジンをふかしたりしてオイラ達を散々期待させた輸送機は依然として昨日と同じ場所に駐機したままだった(オイ)。飛行機は那覇空港でたくさん見られるさ,ということで,早々に安保の丘を後にする(後で知ったが,沖縄復帰前はここで基地内の撮影,スケッチをすると処刑にするという警告の看板が掲げられていたそうだ)。

  実は,昨日の北部,中部のドライブで,沖縄本島の4分の3は外周を回っているので,もし今日残りの4分の1,本島南部の玉城村,糸満市を周れば,本島を一周することになる。沖縄に思い入れの強いオイラとしては、本島1周というのはやってみたかったが、I井さんが興味を示さなかったためボツとなる。

  旅行も日を追うごとに疲れが溜まり,楽しく動ける時間がだんだん減っていった。4泊,5泊となるとさらに休養のための時間の割合が増えてゆき,動ける時間はさらに減ったであろう。

  I井さんは親戚にお酒を買うことにしていたが,那覇空港内に免税店があったので,そこで買うことになった。飛行機の出発時間に合わせて空港について,もし免税品店でお酒が買えないと,もう市内に買いに行く余裕がなくアウトなので,まずは空港に行って,免税品店でお酒を確保しようということになり,那覇空港に向かう。

  途中で昼食をとることにしたが,旅行前にガイドブックで目をつけていたゴーヤーチャンプルーが食べられる国際通りから少し離れた店に行くことにする。ところが,地図やカーナビを見ながら目当ての店に行こうとしたのだが,狭く曲がりくねった道と一通の規制に阻まれて方向感覚が狂い,なかなかたどり着くことができなかった。仕方なく,車を有料駐車場に停めて,歩いて行くことにする。ところが駐車場に向かうために国際通りを走っていて,信号で停まった時にたまたま小さな食堂を見つけ,急遽ここで食事をしようということになる。今度はサービスの良くない安い駐車場に車を停めることができた。車を降り,さっき見つけた食堂に向かう。国際通りに向かって繁華街を歩いていると,歩道に水が流れる細い溝が切ってあり,スイレンが浮かび,金魚が泳いでいた。食堂に入り,壁際に並んでいる小さな2人掛けのテーブルに腰掛け,ゴーヤーチャンプルー定食を注文する。古いこじんまりとしたつくりになっていて,沖縄そばの由来について書かれた張り紙があったり,塩辛を入れるようなガラス瓶にビー玉が数個入っていて,テーブルの横に置かれていた。

  店を出たすぐ隣にたこ焼きなどを打っている小さな店があり,揚げパンを1本120円で売っていたので,家族のお土産に5本買った。途中,那覇タワーが見えた。オイラが小学生の頃は国際通りのシンボルのような存在だったのに,苔むしたように薄汚れていて,展望レストランの部分も今は回転していないようだった。車に乗り空港に向かう。個人的には沖縄に着いて最初に食べた国際通りのステーキがあまりにおいしかったので,最終日にまた食べたかったのだが,ニンニクの臭いが非常に強く,混んでいる機内で他の乗客の迷惑になることは明白で,CAから,「お客様,申し訳ございませんが,今すぐ飛び降りていただけますでしょうか」とにこやかに言われると困るので自制した。

  空港の立体駐車場に車を停め,免税品店を探すが,残念ながら手荷物検査,身体検査をするゲートの先に店があることが分かる。イザゲートをくぐってから免税品店に酒を置いていないということになると困るので,仕方なく市内の地元の店で安く買うことにする。1階には2日前と同じように各社のレンタカーの人が看板を掲げ,客を待っていた。展望デッキで飛行機を眺める。P3Cが数機駐機しているのが見えたが,離着陸するのは民間機ばかりだった。

  展望デッキからターミナルビルに戻ると,ちょうど吹き抜けになっている広場で沖縄の民謡などの出し物が始まるところだった。獅子舞や民謡などが続いたが,琉球舞踊が特に良く,涙が出るほど感動した。

  再び市内に出る前に自販機でシークワーサージュースを飲んだ。沖縄では自販機で簡単にシークワーサージュースが飲めるのだ。羨ましい。しかも値段は110円だった。空港を出て,空港周辺の町に入り,地元のスーパーを見つけてI井さんはお土産用の泡盛をゲットした。オイラもここでポークの缶詰を母へのお土産に買ったのだが,後日母から「安い店ならこの半額で買えたのに」と得意そうに言われた。

  その後スーパーマーケットに入り,いろいろとお土産の物色をした。ここの100円均一ショップで家族にお土産を買った。I井さんもお土産を探したが,なかなかイイものが見つからなかった。その後お土産品の返品されたものを扱っている店に入り,ここでI井さんはお土産を買っていた。オイラはここでは何も買うつもりはなかったので,奥にある自販機でジュースを飲んでいると,店のおばさんがやって来て,「駐車場に停まっているレンタカーの方でしょ。観光で来たお客さんにはサービス」と言って,自販機を10円で飲めるようにセットして10円玉をオイラに渡し,「これで好きなのを飲んでね」と言った。「でも,今飲んじゃったんですけど・・・」と言うと,「いいから,いいから,また飲んで」と言い残してさわやかに去って行った。それで言われた通り,今度はアイスコーヒーを飲んだ。思わぬ親切に触れ,グッときたオイラは,お土産は最後に空港でまとめて買うことにしていたが,ここで職場へのお土産と,1瓶30円の星砂を10個買った。別に誰にあげるつもりもなかったが,この手のものを持っていると,ちょっとしたプレゼントをしたい時に何かと便利なのだ。

  店を出て,先ほどI井さんが目をつけていたこれまた地元の人しか入らないような食堂に入る。オイラとしてはすぐ近くにあったJefというハンバーガーショップに入りたかったのだが,従順に年長者に従うことにした。ちなみにこのJefという店もガイドブックに載っており,お勧めのゴーヤーバーガーというものがあるということで,オイラの中では沖縄に出発する前から行きたい店の候補になっていた。食堂は隣の食品工場らしきものと一緒の造りになっていた。多分豆腐を作っているのだろう。食堂は外見だけでは営業してるのかしてないのかよくわからなかった。内心,ここが営業してなければ,Jefでハンバーガーだと思い,閉店,閉店と願ったが,食堂は営業していた。この瞬間,今回の沖縄旅行でマック以外のバンバーガーやタコスを食べる機会は消滅した。だが,いつまでもくよくよしていても仕方がない。男らしくJefとはきっぱり決別することにした。さらばゴーヤーバーガー。もう君の事を今回の旅行で思い出すことはないだろう。

  座敷に上がり,ゴーヤーバーガーがあれば注文したかったが,なかったので豆腐ンブサー定食というものを注文する。ご飯と汁物,それに大皿に関東のサイズで1.5丁分はありそうな大きめに切られた豆腐とチャーシューが数枚とねぎの緑の部分を刻んだものが入っている。薄い味付けだったが,豆腐自体に沖縄独特の大豆の濃厚なうまみがありおいしかった。先ほどの店で2杯も飲み物を飲んでいたので,お腹がガボガボになってしまった。

     お土産は買ったし食事も済ませたので,少し早いが,このまま給油して車を返して空港に行くことにする。午後は空港のすぐ近くを走り回っていたので,すぐにレンタカー屋さんの所まで行くことができた。今回の旅行で給油をするのはこれが最初で最後だった。3日間目いっぱい走った割には26リットルしか入らなかった。エアコン使い放題で,まめにアイドリングストップをしていたわけでもなかったのに,きちんと計算はしなかったが,燃費は大体18キロと,かなりの高燃費であった。トヨタレンタリースの営業所で車を返したが、車の中は荷物でゴチャゴチャになったままだったのでちょっとあせった。ゴミも結構溜まっていたが,返車場所にゴミ箱が設置してあり助かった。手続きを済ませ,空港に向かうバスで送ってもらう。この時うっかりカーナビの保証書を返し忘れてしまい,埼玉に戻ってから郵送で返却した。

  カウンターで搭乗券を受け取ったら,座席番号がAとCだったが,窓際の席とその隣の席で隣同士だそうだ。沖縄旅行中,オイラの服装は半そでのシャツに半ズボン,それにサンダルという夏の沖縄の格好だったが,ここでトイレに行き,秋の関東の服装に着替えた。

  I井さんはお土産も買い終わり,特にすることはなかったが,オイラは家族や友人から頼まれた買い物がまだ残っていたので,単独で買い物をした。しかし,那覇空港内の店はいくつもあり,本当に広い。買いたいものは一通り買ったが,頼まれたもので買えなかったものが1つだけあった。妹から頼まれていたナントゥース。店の人に聞いたりしたが,これだけ豊富な品揃えの店が並んでいるのに,結局見つからなかった。地元のスーパーなら売っているそうだ。どうやらナントゥーは観光客向けに販売するという発想はなく,地元の人だけの特別な食べ物のようだ。

  買い物に随分時間がかかってしまったので,I井さんの所へ戻ろうとしてエスカレーターに乗ったら,すぐ前に2人の警官から前後をはさまれる格好で中年のラフなスタイルの男性が乗っていた。その風体,言動から,どう見てもカタギではない。しかし,護送されているという雰囲気でもなく,2人の警官と何か楽しそうにしゃべっている。エスカレーターを降りてからも,左右に警官が付く形で歩いていった。あのおじさんと同じ飛行機だと嫌だな・・・とふと思った。

  I井さんのところに戻る。まだ出発まで1時間ほど残っていたが,することもないので,所持品と身体検査を済ませ,搭乗口で待機することにする。検査をしていると,さっきの警官2人と歩いていたおじさんが検査で引っかかり,2人の係官にボディーチェックを受けたり,ニヤニヤしながら所持品を出したりしているところで,怪しげな雰囲気を辺りにプンプン漂わせ,このおじさんに対するオイラの怪しさのレベルは頂点に達した。オイラたちが乗るJALの羽田行き臨時便の搭乗口は通路のずっと奥だった。目的の搭乗口まで歩いていると,さっきのおじさんが警官に左右をはさまれて,オイラたちの前を歩いていた。飛行機を待っている他の乗客も皆一斉に3人に注目している。飛行機の中でいきなり暴れだしたら嫌だなと思い,早く別の搭乗口に曲がってくれないかと思ったが,この時間帯に出発する飛行機は限られているので同じ便に同乗する可能性は結構高い。願い虚しく,とうとうオイラたちが乗る飛行機の搭乗口まで来てしまった。このおじさんがいきなり刃物を振り回したら,火をつけたら,という映画のようなことを想像してしまった。 

  搭乗口に向かう途中で免税品店があったが,高級ブランド品のバックとか貴金属を扱うような小さな店で,泡盛を売っている雰囲気ではなかった。先に市内で酒の購入を済ませておいて正解だった。(…と思ったのだが,後からよく考えてみれば,免税品店ではそもそも泡盛は売らない気がする)

  オイラ達が乗る便の待合所には既にたくさんの乗客が待機しており,席も埋まっていた。それで隣の,もう今日は使わない登場口の待合席で待つことにした。ブルーシールをなめたり,外の飛行機を眺めたりしながら,出発の時間を待った。去年与那国島に旅行に行ったときは,有り金をほとんど使い果たしてしまい,ここの同じ売り場でアイスを食べたら,財布には数十円しか残っていないという状態だった。この時は羽田に妹が迎えに来てくれることになっていたので,飛行機に乗れさえすれば,お金は残らなくてもよかったのだ。待合所の窓からオイラ達が乗る飛行機が正面に見えた。

  ところで出発便の案内ボードを見ると,我々が乗る20:45発 JALの羽田行きが表示されているが,他にも同時刻にJASが,そして15分早い時刻にJTAも羽田便を出している。つまり15分という短時間の間に3機の飛行機が那覇から羽田に向けて飛ぶのだ。出発便の表示ボード上ではJALとJASが同時刻に出発するように表示されているが,管制官と交信できるのは1度に1機だけだし,滑走路も1本だから,必ずどちらかが先に離陸することになる。カギを握っているのは出発の準備を順調に進め,先に管制官と交信することだ。

  さっきから聞いていると,JASの方が早目にアナウンスを流している。「3歳以下のお子様がいらっしゃるお客様は只今より先に搭乗を開始します」と言っている。少ししてからJALの便でも同じアナウンスをした。やっと我々の搭乗時刻となり,ボーディングブリッジを使って直接飛行機に乗り込む。途中に飛行機が見える窓があり,I井さんは行きの便と同様,そこで立ち止まって窓を覗き込み,「パイロットが見える」と言っていた。結局お客さんの列が途切れるまでそこに留まってじっと見ていた。横を通り過ぎる若い客が「飛行機マニア」とか言っているのが聞こえた。オイラはできるだけ他人のフリをしたが,窓の所で立ち止まっているのはオイラ達だけだったので無駄な抵抗だった。窓をじっと見ていたI井さんが突然手を振り出し,「パイロットが手を振ってくれた」と大層喜んでいた。

  乗り込んですぐに飛行機は滑走路に向かって動き始めた。滑走路の端まで来ると,ちょうどJASのMD90型機(この機種はオイラには見分けがつかないので,”型機”という言葉でごまかす)が離陸していくところだった。やっぱりJASに負けた。一面の暗闇に滑走路の延長線を示す灯,誘導路を示す灯など様々な色のライトが浮かび上がり,その中をライトを輝かせながら,目の前をMD90型機が滑走し始めた。やがて遠ざかってゆくに従って機体が闇と地上の様々な灯にまじってゆき,ライトでしか飛行機を識別できなくなり出した頃,そのライトがゆっくりと闇夜に登っていった。

  すぐに我々の飛行機の離陸も始まり,強い加速と共にあっという間に上昇し始めた。乗ったのが行きと同じJALだったので,機内の番組も同じだった。ほとんど落語を聴いていたが,行きではまだ地上で聞いていた部分が帰りの便では既に上空で流れていた。飛行機に乗る頃には,あの警官に左右をはさまれているおじさんのことはすっかり忘れてしまっていた。

  離陸して,やや日本海側の海岸沿いを飛んだので,我々が泊まったホテルは見えなかったが,ホテルの建っている残波岬の灯台は見えた。なぜ残波岬灯台だとわかるかというと,灯台にはそれぞれ固有の光の色と閃光の間隔が決められており,他の灯台と識別できるようになっているのだ。残波岬灯台の場合,チカッチカッと立て続けに白色の閃光が2度見えた後しばらく光らないというパターンを繰り返す。さらば残波岬。

  今回の旅行では,やりたいことはほぼやったし,行きたい所にも行けた。ソーキソバ,ブルーシール,ステーキ,シークワーサージュースなど,どれもみんなおいしかった。行き当たりばったりで店を選んだが,はずれがなくてよかった。(2日目の夕食はちょっとはずしたが)惜しむらくは,ゴーヤーバーガーとタコスが食べられなかったことと,シュノーケルができなかったことだ。大きなアクシデントもなく旅行を楽しむことができ,本当によい旅行だった。

  一番感動したのは,予定外に見た那覇空港での琉球舞踊だった。ウチナンチューの人情にも触れられたし,モノレールの進捗状況が見られたのもよかった。元自宅の周辺は車を降りて,もっとじっくり見たかったが,一人旅ではないので止むを得ない。ゴーヤーバーガーはよほどI井さんと食事を別にして1人ででも食べようかと思った。それはともかく,沖縄の様々な場所を自分の目で,足で直接確かめることができたのもよかった。食材や味付けが関東とはかなり異なり,クセが強いので好き嫌いがはっきり分かれる沖縄料理をI井さんがどれも「おいしい」と言って食べてくれたのもよかった。最悪の場合,せっかく沖縄にいるのに,3日間カツ丼,ラーメン,コンビニ弁当ということもあり得たのだ。

  使ったお金は,旅行会社に払ったのが38,000円,それ以外の小遣いが全部で約25,000円だった。この中にお土産代,食事代,自宅と羽田の車代,羽田の駐車場代などが含まれている。お土産で随分お金を使ったし,7回外食をしたし,羽田の駐車場代は3日で12,000円近くしたので,それを考えれば,おいしいものもたくさん食べたし,まずまずといったところだろう。

  飛行機は順調に飛行を続けた。不謹慎だということは重々承知の上で飛行機に乗る機会があるたびに常々思っているのだが,上空で1時間くらい旋回待機とか,着陸のやり直しといった事態になるというサービスをしてくれないものか。もしくは,離陸後機体のトラブルが発生して空港に引き返し,航空会社の負担でその日は余分に一泊し,翌日やっと出発するとか,羽田が急に天候不良で着陸できなくなり,急遽代替空港に着陸するとか,エアポケットに入って一気に数百メートル落下するとか,せめて機体が激しく揺れるとか,ここに上げた例のどれかが組み合わさるとか,そういうハプニングを期待しているのだが(もちろん最後は無事に着陸するのだ)これまで一度もそういう事態に遭遇するチャンスに恵まれない。要するに少しでも長く飛行機に乗って色々な体験をしたいのだ。ところが,オイラのはた迷惑な願いをよそに飛行機は何事もなく,無事に羽田に着陸した。

  滑走路から誘導路に入り,ターミナルビルに向かい始めたが,時間帯からいって当然C滑走路を使ったわけだが,やはりこの滑走路はターミナルビルの裏側に位置するためかなり遠く,誘導路を走っている時間が長かった。

  ターミナルビルに入り,預けた荷物を受け取ろうと,まだかまだかと待っていると,目の前に1人で立っていた小さな女の子が、流れてきた大きな荷物を体をいっぱいに使って引きずり下ろし,「よいしょ,よいしょ」と引っ張り始めた。I井さんと荷物運びを手伝うが,我々の荷物が流れてきたのに気付き,あわてて荷物を取った。

  初日羽田空港に向かうときから沖縄旅行中,ほとんど1人で車の運転をしていたのでクタクタだった。それで帰りの運転はI井さんにしていただいた。途中,首都高S1で,12時ちょうどに東京タワーのライトが消えるのを見ることができた。帰りの道のことは途中で寝てしまったのでよく覚えていないが,無事に家に着いたのだけは確かだ。 


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